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絵のない本の読み聞かせ

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待ちに待った日がやってきました。

「いつから」

と決めていたわけではないけど、いつか“絵のない本の読み聞かせ”ができる日を夢見て絵本の読み聞かせを続けてきましたが、ようやく準備ができたようです。

最初に選んだ本は、僕の子どもの頃の愛読書である、

コロボックル童話集 佐藤さとる著

です。「だれも知らない小さな国」に始まる、こびとたちの話です。
この挿絵画家、村上勉さんの絵も素晴らしくて、当時の出版レベルの高さに感動させられます。

いまでも書店に並んでいる本です。

ただし、時代が違うため、柱時計やふりこなど、小物は子ども達にとっては全く未知のものばかりですから、いちいち説明してあげる必要があります。

そっぴくんに、

「絵のない本を読んでほしいか?」

と聞くと、最初は「なにそれ?」という反応でした。

「お話が長いからちゃんと聞いて覚えていかないと分からなくなるぞ」

というと、

「よむよむ?!」

読んでいくうちに面白い行動をはじめました。
目が宙をさまよって、何も見ていないのに輝きはじめます。
脳の視角野との交信が始まっている証拠です。
見えていないものを見ようとする働きです。

これが想像力です。全ての子どもが持っている能力で、鍛えれば鍛えるほど心の目が育つ(はず)です。

結局、数時間のうちに短編を何本か、100ページ近く読まされ想像以上の反応を得ました。読んですぐに、

「いまのおはなしのえをかく!」

といって、クーピーと画用紙を取り出してきて、ある場面の絵を描くのです。絵本でもなければ、テレビでもないので、

全てが想像の上で作り出された場面

です。草の上にお父さんと妹が腰掛けて、お兄ちゃんがバッタ競争に出場しているのを応援する。そんな挿絵がどこにもなくても、絵は何の問題もなく完成します。

話の中に“文鳥”が出てきます。色味は言葉だけで説明されています。鳥の姿は村上氏の画で見られても、色は記憶と想像でしか着けることができません。これも問題ないようです。好きなように描きます。

僕の頭の中のイメージと、そっぴくんのイメージは大きく違います。
当然です。

ここが漫画やテレビとの違いです。

本物の想像力(と創造力)は、ここにしかありません。
ときに、画像や実体は邪魔になることがあるのです。

子どもの凄味はこういうところにあります。

見たことのないものは書けない。

という先入観が全くないのです。見たように書いてしまいます。
先入観が子どもを邪魔するのは、大人が「しっかり見て描け」と言うようになってからです。

僕は、本が読めるだけで人生は生きる価値があると思います。
とても一生程度の時間では、全部読み切ることの出来ないほどの人類の蓄積があります。
息子にもそれを伝えたいです。

この世の中は食べる物はタダではもらえませんが、読むことは最悪の場合でもタダでできます。

・・・今のところは。(笑)

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