ボランティアに興味がないわけではありません。
とはいえ、なんでもかんでもボランティアならいいというわけではありません。
去年、自分が
これに協力したい!
と思うところに志願したら、見事に拒否されたりしてしまいました。協力するということもなかなか難しい。(笑)
協力ということもスケールの大きい人達がいて、海外にでかけていってボランティアをする人、街頭で外国の政治的な問題の犠牲者達を助けるデモをしたり、募金をしたり。
純粋に尊敬してしまいます。
でも、いつも思うことがあります。もちろん、批判ではなくて、矛盾というか、葛藤みたいなものです。
この日本という国は、街を車で走っていると高架の下なんかで、青いビニールシートの中に住んでいる人達がいたりする国です。
個人的には自分たちの手の届くところをまず改善することも大切だと思うのです。
先日、地元の新聞に連載されていたホームレス支援の記事なんかを見て、絶対に真似できないほどの勇気を持った人の存在を知りました。高架の下で寝ている人達を放っておけない、強くて優しい心を持った人がいる。しかも、僕より数歳年上なだけです。
ひねくれたものの見方ではありますが、例えば
ボランティアだ! 海外協力だ!
というと、必ず履物も履かずにほとんど裸同然で暮らしている人達の中へカメラを持って行って、
子どもの写真
老人の写真
無気力にカメラを直視する人々の写真
を撮ってくる人達がいます。僕は、この表現方法には若干否定的な立場を取っています。
別に海外に行かなくても、日本国内で両親を失って学校にも行けなくなっている子はたくさんいるし、カーピープルだっている。助けられるのを待っている人達が、同胞(同国人)の中にいるのに、さも、
発展途上国(←最近は不適切な言葉かも)に行って、
惨めそうにしている子どもの写真を撮らないとインパクトがない。
または、“逆境に耐えて明るく振る舞っている子ども達”を抱きしめて涙してみたり。
それでついでに、パチパチ写真を撮ってくる。
僕の知り合いでも、自分探しの旅とか行って、なぜかカンボジアへ行って子ども達の写真を撮って帰ってきたのですが、特に生き方や考え方が変わったわけではなさそうです。
ちょっと変わった体験、テレビ番組で見た“発展途上国”を見てきました?!という雰囲気。
あまりいい風景には見えません。
ボランティア
というのは、ヨーロッパの言葉(僕が知っているのはイタリア語)で
ボレンティエーリ = 喜んで
という辺りから派生してきた英語だと思います。
どんな所への協力でも、本人が喜んでやれればそれがボランティアなのだから、余計なお世話ですけどね。
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