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見るところが間違ってる映画ファン

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映画制作にはスクリプトスーパーバイザーという、とてつもなく僕に不向きだと思える仕事がありました。
僕はその仕事をやったことはなく、スクリプトスーパーの方と話をしていて、

凄いなぁ

と感心していました。

スクリプトスーパーの仕事は一言で言うと、

カットからカットへの整合性を保ち続けること

例えば、こんな1分足らずのシーンがあるとします。

  1. 刑事が廊下を歩いている。
  2. ドアを開けて部屋に入った途端、撃ち合いになる。
  3. 刑事は負傷して、狙撃犯は別室に逃げる。
  4. 刑事、後を追う。

これだけのシーンを撮るのに、一つのカメラでベタッと撮れれば世話ありません。
でも、現実的には、廊下と、狙撃犯が待っている部屋、そして逃げ込む部屋この3つの部屋で撮影するためには、照明や録音の設定をしなければならないから、スケジュール的には、

  1. 廊下のシーン
  2. 撃ち合いのシーン

に分かれてきます。これを一日で撮るにしても、2日以上で撮るにしても、ある大きな変化があります。

主人公である刑事の着衣と負傷した様子

です。

初日、廊下のシーンは何度でも撮影できます。服が一緒だし、メイクも同じ。汚れもなければ、傷もない。でも、

ネクタイの締め方はどうか?
シャツの襟はスーツの上だったか下だったか?
髪型は?
ポケットから何か出ていないか?

という細かいことを、僕が映画をやっていた当時は、ポラロイドカメラで

撮影前
撮影後

と記録していくのです。もしも、廊下にあるものを何か触るという設定があったら?例えば設置してある椅子を動かして、その上に乗り、覗き穴から部屋の中をうかがう。

すると、椅子が最初どこにあって、どこへ動いたか?

これも記録しておくのです。

これでも面倒なのに、もっと厄介なのが、銃撃戦のシーン。

ホコリがたつ
服が汚れる
刑事が怪我をする
けがのメイクが施される
物が壊れる

それらが一日で終了すればいいですが、そんな上手くいかないのが映画の撮影です。すると、明日も同じメイクをする必要があるわけです。

全ての“汚れ”が昨日と同じでなければ、コンティニュイティーフローといって、

整合性が無くなる

のです。大人気の「24」は24時間の設定ですが、撮影条件は想像以上に厳しいです。どれほどの注意がこのコンティニュイティーフローを起こさないためにはらわれているのか、考えるだけで気が遠くなります。

だからこそ、ジャックの怪我はけっこう早く治るわけです。異常に回復力が早くても納得してもらえるような超人的な人物である必要があるんです。元特殊部隊とか。24時間、血糊が着いたままでいられては困るのです。

このフローに気付く人はほとんどいません。
特に映画が面白ければ、そんなところは全く見ていません。

ところが、そこばっかり探す暇人がいるのです。(笑)

「○○のカットではこうだったが、次のカットでこの位置が違う」

そういうことを得意になって話すタイプの映画ファンがいます。ある映画監督が言っていました、

「見るところが間違ってるファンまでは相手にしていられない
フローは想像力で誤魔化してストーリーに集中してほしいんだ」

誰でも(僕も)ネット上でブログを通して発言できるようになりました。中には、なんでもかんでも揚げ足取りみたいなことになってしまうこともあります。

でもこの頃、

ちょっと見るところが間違ってないか?

と自問自答することがあります。
正論・異論なのか、単なる天の邪鬼なのか、自分のことは客観的に見られないから厄介です。

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