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本質を忘れた習い事

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息子は、地元の合気道クラブに入っています。
合気道は、筋骨隆々にならないし、試合で炎天下に出ることもない、という簡単な理由で始めました。妻の紫外線対策の一面もあるのかな。(笑)

もちろん、礼儀を教えてもらえることや、色々な年齢層の方々とふれあう機会が多いのも魅力です。

ところが、先日、進級の審査があったとき、

ちょっとこれはどうなの?

と疑問に思ったことがありました。
普段の稽古は、

だいたい15から20人程度

に対して、

審査の日は、40人以上!

の出席がありました。
つまり、多くの子は

審査の時だけ来る

という態度ということか?

習い事を続ける動機付けとして、帯の色が変わることはとても有効だと思います。ただ、

帯の色が目的になっている

というのでは、困ります。
普段の稽古はどうでもいいけど、帯の色は上級者に近づきたいと考えているのであれば、それはまるで、

英語が話せなくても良いから、TOEICで点数を上げたい
使えなくても良いから、資格が欲しい

そういう感覚と同じです。
しかし、その対象が合気道のような、

心を鍛える
礼儀を身につける

という目的があることを習うのに、この感覚を許していていいのかな?
非常に疑問です。

もし息子が、稽古にマトモに出席しないで、審査を受けると言いだしたら、僕は絶対に受けさせません。資格がないから当然です。

上辺のテクニックだけで帯に色が着いても何の意味もない。

そんなものに喜んでいるようでは、合気道の精神がどうのという資格もないです。
このごろ、物事の本質より

見た目や、“ハクを付けること” に躍起になっている人が多い

たとえ見た目(帯の色)で、差を付けられたとしても、息子には本質的な意味での進級をさせて、

努力でなにかを身につける喜び

を教えたいです。

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