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映画: 不都合な真実

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アル・ゴア元副大統領 の

「不都合な真実」

をみました。
この映画はとても恐ろしいです。ご覧になった方、この映画は

環境問題の映画だと思いましたか?

僕はそれだけだとは思えませんでした。 「不都合な真実」 は、全ての人が持っているのです。
人間がいつまでたっても変えられない性質がテーマのように見えます。

アル・ゴア氏がどれだけ自分が調べた結果を声を大にして叫んでも、人は聞きません。
聞いても実行に移す前に忘れます。それどころか、

「それはウソだ」

という人もいる。または、アル・ゴア氏の説を一つ一つあげつらって、いかに地球温暖化や、海面上昇がウソなのか論破してやろうという人もいます。僕は、アル・ゴア氏の説が真実なのか、虚構なのかを理論的に肯定も否定もできる立場にありません。

でも、これって説が正しいとか正しくないではなく、CO2が少ないならその方が住みやすいだろう、地球の温度は下げた方がいいだろう、無駄なエネルギー消費は控えた方が良いだろうという、地球はそこに生きる全ての存在(人から、石ころまで)のものだという公共意識、

コモンセンス

じゃないのか。

キャンプへ行ったら、その場所を好きなだけ汚して帰ってもいいのか、悪いのか?

この質問に、いいんじゃない? と答える人はかなりイカレています。
僕らは、いずれ死ぬわけで、次の世代に地球を残していくわけです。つまり、一時的にキャンプしているのと同じ事。

どこの誰に、ここを汚す 権利 があるのか?
どこの誰に、誰がどれだけ汚していいと決める権利があるのか?

こういう質問が出てきます。当然答えは、 「誰にも権利なんてありません」 となるのだけど、その一方で、

「だったら、原始人みたいに生きるように世の中を変えていくのか?」

という質問も出てきて当然。僕はそれもちょっとこまりますし、無理です。
極論すぎて馬鹿馬鹿しい。
もっと言えば、

「生きててごめんなさい」

なんてことにもなりますね。

さきのキャンプ場の例だって、その場所を使ったら全く無傷で去ることは不可能です。草木は折れるし、火を使えばその場所は焼けてしまうわけです。何らかの傷跡を残して、それでも傷跡を最小限にして去った方がよい。そうすれば、自然の治癒能力でもとに戻っていくはず。

仮に大人数でキャンプして、その場を著しく傷つけたとしても、回復を早めるために “管理やメンテナンス” ができます。時間がかかるか、かからないかは別として、元に戻すことができます。

海面上昇をアルキメデスの原理で “ウソだ” と得意になって説明しても、公共の場所をきれいに保つという一人一人の責任は当然のことで、理論を否定することには何の意味もないわけです。でも、

公共の場所をきれいに!

という、どうしたって否定できない言葉も、アル・ゴア氏がどれほど言っても通じないのです。

これを歯がゆいと感じる人は多いはず。
でも、「不都合な真実」 は意外に近くにもあります。

英会話の業界でも、

「英語を1週間でマスターできる」
「努力無しで」

なんて言葉を濫用します。なんとかして、

語学は継続的な努力無しでは習得できないのです

というメッセージを伝えようと努力しても、なかなか誘惑には勝てない人が多いし、ウソの物量も多いから惑わされて、いつまでも簡単な特効薬を探し続けます。そして、手遅れになって、最後には、

「もういまさら」

とあきらめてしまう。

環境も、語学も、人生も、なんでもかんでも同じ事です。
みんな、今一番やらなければならないことは分かっている。
なのに、それをドンドン後回しにしてしまう。

でも、やっぱりやっておけばよかった、という後悔にいたります。見返してみると、常に警告を発している人達がいたのに、雑音にかき消されてしまうのです。

自分が 「不都合な真実」 を持っているかいないか。
不都合だから、それを否定する良いイイワケを探そうとしていないか?

僕自身も、将来の後悔に向けて突き進んでいないか、よく見ていかなきゃいかんね。(笑)

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