最近よく目にする言葉で、
情報化社会では、記憶はコンピューターにやらせて、
人間はその情報を使う役を担う
これって、本当なのでしょうか。
言ってみれば、無駄なことに脳のキャパシティーを使わないから合理的、ということなのでしょうか。
だけど、自分の頭のなかに何も入っていない人に、
気づき
という大切な能力が発揮できるとは思えません。
例えば、料理の本があるとして、この本の内容を全て覚えることは不合理です。覚える必要もないです。好きなときに好きな料理のページを開いて、好きな料理を作ればいいわけです。
でも、全部のページに目を通して慣れ親しんでおくことで、可能性がもっと広がります。
例えば、ハンバーグのページを見たあとで、エビの身をすりつぶして団子を作るなんて料理が出てきたら、
エビハンバーグって出来ないのかな?
という発想に繋がるかもしれません。
この発想というのは、色々な情報が頭に詰まっていて、何かの切っ掛けや連想で情報同士に繋がりが発見されたときに生まれます。
記憶をパソコンにさせておいて、必要なときに出す
という使い方は、結局情報というのは、
道具をその意図されることに“だけ”使うこと
となってしまいます。
応用を一切排するのであれば、非常に合理的だけどね。
誰かが思いついた応用方法もデータベース化しておけば!
と思うかもしれません。
でも、それもDB化された時点で、既に“応用方法”ではなく、“数ある方法の一つ”になります。僕の疑問は、脳に無駄なことをおぼえさせておかないことが合理的なら、
創造力
が発揮できない人は合理的な人か?という部分です。
それって、なんかつまらない人だな。
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