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自分は大丈夫?

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企業や公務員の問題があると、野球場で監督の戦略を野次るオヤジさんのように、

「もっと法律を厳しくすればいいんだ」
「公的な指導を徹底しなければいかん!」

と言い始める人が出てきます。

この方法では絶対に解決には至りません。

法律の制定も指導要綱のとりまとめも、言ってみれば役人の仕事です。つまり、また結局、役人に権限をあたえる流れが始まって、権限を持った人に便宜をはかってもらうために、

金品

を贈ったりが始まります。これは、必ず始まります。
映画やテレビのように、闇に隠れてやっているのではなくて、ほとんど、

「あ、石川さん、アメ食べる?」

という始まり方だったに違いありません。アメなんか断らないでしょう。それと同じ流れで、

「あ、石川さん。これ、良かったらお持ちください。いつもお世話になってるから」

とビールだの、贈り物だのを渡されてしまいます。その時には感情も芽生えて、公的な立場の自分ではなく、個人対個人の付き合いになってしまっているから、受け取ることに抵抗はありません。

みんな、なぜこんな贈り物受け取るんだ?と言いますが、始まりは実はとっても自然なことなのです。
誰でも経験あるのは、

「あ、ここ、私払いますから」
「いえいえ、自分の分は自分で払いますから」
「いやいや、いつもお世話になってるから、払わせてください」
(この辺から、『レジ前でみっともないから』と引いて)
「そうですかぁ? すみません。じゃ、今度は私が」
そして、お店の出口で、「ごちそうさまでした」とあたまを下げる。

だから、罪悪感なんてあるはずもないし、誰でも経験のあることから始まり、だんだん絡め取られて、気が付いたら結構な額になってしまっていた。という事情でしょう。心理学的に言えば、

ローボール

というやつです。好意的に言うわけではありませんが、双方にローボールの意識はないはずです。
でも、発覚すれば、突然、

「越後屋、そちもワルよのう・・・」
「しかし、やまぶき色はいつ見てもええもんじゃ」

の世界を想像して、「公務員も汚職か!」となるんです。

困ったことに世の中で何か問題があると、自浄作用を効かせる我慢をせず、もっと即効性があると信じられている、

法律を作り
指導を厳しくする

ここに手を出してしまう。法律や、指導・管理には

即効性 強制力

という、万能感があるのです。ただの幻想なんだけど、即効性や強制力の誘惑は強いのです。

この対策には、恐ろしい副作用があって、ある一部の人間や役人に“権力や権威”という力を与えてしまいます。権力は持ってしまうと武器と一緒で使いたくなるのです。そして、それに群がる人間が必ず出てきます。規模の大小はあるにしても、これは自然の法則です。

指導を厳しくするというと、指導を受けるために申請をしなければなりません。
そこには、余分な工程が一つ増え、費用と時間がかかります。
企業は費用と待ち時間を増やすのは困ります。
コスト削減で経営を効率化した分がゴッソリ消えてしまったら、何のための努力か分からない。
検査や指導の順序を早めるために、お金を使うこともあります。
合法的なロビー活動かもしれませんけど、これはコストに直結です。=損失
指導の結果、改善命令がでたとすると、それはコストに直結です。=損失
それは困りますから、便宜をはかって少しでも損失を抑えたくなるのが人情です。

また、指導の待ち時間や書類の作成によって、経済の動きが鈍くなります。
現在それで困っている例が建築業界です。

結局、法律や指導、検査を厳しくすると、先にあるのはどん詰まり。
安易に法律や、指導、検査などと口走ってはいけないのです。

理想の対策があるとすれば、

全ての人が良心を持つこと。

そして、自浄作用を効かせて、法律や指導で自分たちのクビを絞めるような社会を作らないことなんです。

あおくさいですか?
・・・だよねぇ。(笑)

そんな理想論を言っても仕方がないというのも当然のことながら、昔から政治家が、

教育が一番大切

といっているのは、そこなんです。お勉強ができるようになることが教育なのではなくて、社会全体が良くなるには人の気持ちが社会の仕組みとどう連動しているかが分かること。そして、自分がその仕組みの一つであることを自覚することです。

すると、世の中の全ての人は密接に関係しあってるんだと分かります。だからこそ、人間関係が一番大切だし、一人一人の人間の存在は大切なんです。きれい事ではなくて。

こうして考えてみると、

不正を作り出しているのは社会(自分たち含む)だし
タレントを政治家にしているのも社会だし(良い政治家になる人もいるので全面否定ではなくて)
物価の高騰も、モラルの低下も、全ては社会が生み出した

という主張の意味が分かってきます。

極端に言えば、ヒットラーやレイシャルクレンジング(民族浄化)をうんだのも社会だというのは、本当にその通りなのです。それを実行している人は選挙で選ばれてるんだから。

法律、指導、検査の強化などを求める世論に乗じて立候補する人に投票してはいけないのです。
その人達を権威にして、その周囲に権力を与えることになってしまうのです。

いつでも、 「自分は大丈夫?」 と自問しなければ、いつのまにか自分のクビをしめて、大きな流れに絡め取られてしまう結果になります。今が、ちょうどそんな状態ではないかな。

自由と制約を常にバランス良くするためには、自浄作用が効く社会を作らなければならないのです。小さな政府って言葉が昔ありましたが、権威・権力の基点は少ない方が良いのです。
時間がかかりますけど、時間がかかることを我慢強くやり通す人を政治家にする意識を持たなければね。

即効性、強制力は破滅への行進です。

僕も、自分で自分のクビを絞めつつある選択をしていないかな?とちょっと自問してみなければ。

こんな記事もあります。

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