子供達に発言の機会を与えると、誰が教えたのか
“個性の主張”
ということを言いたがります。
服装で個性を主張したい
髪型で個性を主張したい
小物で個性を主張したい
こんなものは個性でも何でもなく、むしろ物欲に近いものです。
お金があればできること、買える物なんかで個性は絶対に主張できません。
多くの場合、個性は管理や制限の中から生まれます。
服装だけを例にとって言えば、僕らが学生の頃は太い学生ズボンが流行っていました。流行っていたとはいえ、それを着るのは多少リスクを覚悟する必要がありました。
先生から目を付けられる
先輩から目を付けられる
他校生徒とぶつかる
好戦的な人間であるという誤解を招きやすい
今は、先生は叱れない、先輩は求心力を失って、縦の繋がりが希薄になり、誰もが好き勝手に過激な格好ができるため、一番最後の“好戦的という誤解”は起きにくくなる。
競合(敵対)する相手がいるということは、精神の暴走を止める回路のようなものです。今の子供達はブレーキが弱い。だから物欲で暴走しやすい。
個性というのは、リスクがあっても、それをものともせず、どうしても出てきてしまう要素です。
抑え込もうとするものと、突き抜けようとするものの間
思い通りにならなくても、なんとか達成しようという葛藤
で、個性が磨かれます。
その中から、本当に必要なものを見つけることができます。
大人は、単なる反発との違いに気をつけて対応しなければなりません。
もし個性があると主張するのであれば、
いちいち許可を求めるな!
ということです。
個性を主張するのに保護や、承認を必要とするのであれば、個性なんてどこにもないのです。
どうしても楽器を使って表現したい
何かを書いて表現したい
踊りたい
走りたい
作りたい
何かを身につけたい
そういう欲求にどんな困難があってもぶつかっていくのが個性です。そして、困難があるからこそ個性が際だってくるのです。
制限も何もない、溶け崩れそうな環境で個性は絶対に伸びません。
もし、自分が何かをするのに承認必要で、誰にも叱られたり批難されたりしないことが確認できるまで行動を起こさないのであれば、
個性なんて最初からもってない
ということと同じです。