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名付けなのかネーミングなのか

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このごろの名前は強烈です。
こんなことを言っている僕が時代遅れと言われるのではないかというほど凄い名前。

その子に失礼があってはいけないので具体的な名前はいわないけど、名付けの傾向も変わってきました。

7?8年ほど前までは

「源氏名ですか?」

という名前が多くて、3?4年前は

「ペットか?」

という名前が増えてきて、世も末だと思っていたらこの頃は、

「洗剤か何かですか?」

と、ほとんど商品名のようなところまで来てしまいました。

名付けというよりは、ネーミングと言った方がいいくらいです。

インパクトがあって、覚えやすく、呼びやすい、それでいて親しみやすい。商品名としてはこれ以上ない要素ですが、果たして人間の名前に

ネーミング

の要素がいるのかどうか。そのうち親が欲しい物や製品名が名前になってしまうのでは。「プラズマ君」とか「イポド (iPod)君」とか。悪い冗談です。ちなみにこれらは僕が欲しい物ではありません。

子どもの名前を付けるために、今まで見たこともない漢字や辞書のページを繰ることは反対しません。むしろ自分の少ない漢字知識に頼るのは心許ない。

だから、落語の「じゅげむ」なんてのはお坊さんに名付け親になってもらいに行くわけです。自分より知識の多い人に名付け親になってもらうことで、子どもが自分を越えていってほしいという愛情だと思います。その結果、例えば「一 はじめ」というシンプルな名前が付いたとしても、これはとても重みがあるわけです。

「じゅげむ」の場合は坊さんのあまりに豊富な知識のおかげで笑い話になってしまうわけですけど、いまは別の意味で笑い話に近い。

「これからは外国人にも親しまれなければ!」

ということで、外国人名に近い音の名前を付ける親もいますが、外国人の名前というのは

正式名 と 呼び名

に別れていることがあります。呼び名というのは、辞書にも載る“正式な短縮形”であるわけです。公式な書類などには正式名がかかれます。

ところが、

この短縮形をそのまま名前にしてしまう

という人もいます。実情を知って名付けたと信じたいです。僕は、怖くてこの事実は口に出せませんでした。それから、よくある外国人の名前は宗教色もあることを理解したいです。

ただし、有名な科学者で今の感覚からしても斬新な名前の方もいますから、名前がどうのとケチをつけている僕の考え自体も的はずれなのかも。

とにかく子ども達が立派に育つということが最重要なわけです。

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