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移植手術に思うこと

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日本では移植手術ができないため、海外で手術を受ける人が多数います。
信じられない費用がかかるため、募金活動などでお金を集めています。新聞やテレビでもそんな人達を紹介して、見ず知らずの人々がそれに協力する。

なんと、人々の善意で1億という金額も集まってしまう。
世の中捨てたものではありません。

とはいえ、どんな報道でもいつも一つだけ情報が足りないように思います。

費用はこれだけかかります

という見積に対してです。
内訳は、病院だけではなく、滞在中のアパートや生活費など、数え切れないほどの対象があるはずです。

その1億という金額がどれほど切りつめた見積で出されているのか、それとも全て

定価

なのかです。

きれい事であることを承知でいつも思います。

世の中には同じ医者でも、人々に技術を無料で提供したり、それどころか持ち出しまでして人を助ける方がいるかと思えば、私利私欲に走る人もいます。

皮肉なもので、見ず知らずの人が困っていると自分のサイフをあけて募金に協力する人、それからその募金で集まったお金を懐に収める人。余裕がなくても人を助ける人と、余裕があっても見向きもしない人がいます。

こんな書き方をすると、お金を受け取る人が悪人であるかのように見えるかもしれませんが、そこを強調したいわけではありません。

例えば医師達は、事務的に仕事をこなしているだけではなく命を助けるためのできる限りの努力をしているのだと信じたいです。

だけど、この点の情報がいつも決定的に欠けています。
全ての経費を累計して示された、

「命の見積」であるこの1億円の内訳はこうです
これだけの人が支え合っています

という姿を見ると、もっともっと協力を申し出る人の数は増えると思います。
患者に対しての同情をあおるばかりの伝え方より、これだけの人が助け合っているけど、まだ足りない!と言われたら、

それじゃ、わたしも!

と思う人も数多くいることでしょう。

・・・ただ、そうは言っても世の中には何をやっても皮肉にしか受け取らない人が増えてきたという事実も見逃せません。どんな良いことをやっても、

「へんっ。ど?せ話題作りでしょ?偽善だよ」

という見方です。じゃあ、あなたたちの善意はどこにあるの?と言いたい。
皮肉る前に、まずそれを示さなくては。

本気で人を助けたいと思ったら、まず自分の足下をしっかりさせることが大切です。それは、個人も企業も同様です。

最初は話題作りのつもりでも、話題になって名が売れていくうちにできてくる

自覚

というものもあります。順序は逆ですけど。

話題になって儲けて、その上で不正をやる奴らは思いきり処罰してやるべきです。

(ちなみに、多くの協力を呼びかけている患者のHPには内訳が掲載されています。ただし、その数字一つ一つに割引率が書かれているなんてことはありません)

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