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文化は無意味なこと

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先日クルマの中から驚くべきシーンを見てしまいました。少なくとも、僕にとってはとても驚いたこと。

とあるコンビニの前で信号で停車していたときのこと。

店から20代半ばほどの女性が出てきました。とても“普通”の人です。よくある、上半身はモコっとしたジャケットで、ミニスカート、ブーツといういでたちで、髪はかるく茶色に染めた方です。

好感度高め。おそらく、あの方を見た目で嫌う人はいないだろうと言うほど“普通”の人でした。

その方が、自分の車に近づいて運転席に乗り込む前に、

ぺっ

と駐車場の地面にツバを吐きました。
そして何事もなかったようにクルマに乗り、駐車場から出て行きました。

虫か何かが口に入ったわけでも何でもなく、いたってカジュアルにツバを吐くこの姿を見る限り、日常的に行っていることのように見えました。既に人の目も気にしていない。

男女で言ったら不快に思われるかもしれませんが、男の僕ですら他の人が歩くところにツバを吐くことはしません。

こんなことは確かに小事ではあります。
何を細かいことにガタガタ言うんだと思う方もいるでしょう。

でも、小事が許されるということは徐々に許される範囲は拡大しているということです。最近は

誰にも迷惑をかけてないから、いいじゃないか

と、正論のようにいう傾向があります。ツバは、誰かが踏んでしまうかもしれないから直接的な迷惑があるのですが、本来礼儀作法というのは

何の役にも立たない

ものです。

ハシがキレイに持てたって何の得がある?
靴を揃えて脱いだからって、なんの役に立つ?
挨拶ができないからって、誰に迷惑がかかる?

挨拶ができなくても迷惑はかかりません。ただ、相手の気分が悪くなるだけです。人のすることは、確固たる理由がないことも多く、何でも

気にしなきゃいいじゃん?

って話で収めることができます。
一見、とても寛容で相手を認めているようで、クールで大人の対応に見えます。
でも、本当にそうなのか?

例えば、芸術は何かの役に立つのか。芸術の定義は、

役に立たないこと

だそうです。確かに。

例えば、モナリザが自分の部屋の壁に掛かっていようが、ルーブルにかかっていようが、その絵が何かの役に立つということはないわけです。ルーブルにあったからといって、世界に何か有益なことをもたらしているのかと言えば、そんなことはありません。モナリザの存在自体も、写真が世界中にあるのだから、別に本物が消えても支障は全くありません。

人間には、何の役にも立たないことを、

「誰の役にも立たないから、やっても仕方がないのではないか」

という疑問を持たずに生きてきた部分がありました。暗黙の了解です。
僕は、この何の役にも立たないことが文化そのものなのではないかと考えています。

役に立たないという理由で否定するのは、文化を持つことを拒否しているということに等しい。
それは人間でなくなるということです。

ここ10年くらいの間に、深い考えのない個人の主張に市民権を与えすぎてしまったように思います。

だから文化財に平気で傷をつけたり、ルールが守れないものが出てきたりという結果になってきたようです。

文化財なんて何の価値があるの?
ただの古いものじゃん!

その通りなのです。
だけど、大切なんです。

理由なんかいらんのです。
僕にも理由は分からんのです。
それでいいんです。

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