「もっとさぁ、こうこうこういう法律作ってさぁ・・・・」
人が集まるとこういう声を聞きます。
僕も以前は、
「そうだよな」
と言っていました。でも今はその考え方をあらためました。
例えば、
喫煙
高速道路の料金
教育
NHKの視聴料
違法駐車
不法投棄
株式投資
医療費
母子家庭への支援
安全
品質
企業活動への規制
などなど
:
これらには様々な対応策への議論があり、どれが正しいと一概には言えません。
その大きな理由としては、それぞれの問題に両極端な人達がいるためです。
例えば、企業活動への規制を例に取ると、最近の食品の安全性の問題があります。
本当に誠心誠意安全性の高い食品を提供する会社
自分の家族には食べさせたくないような食品を提供して利益を確保する会社
どの業界にもこんな両極端な企業が常に存在します。
規制をかけるとするなら、どちらにも同じ規制をかけることになります。
この不公平をなくす仕組みを作るのは事実上不可能です。
すぱっと一律でいくか、またはハードルをいくつか設けて、それを越える手間を強いることで振るいにかけていくしかないけど、これが良い仕組みとは思えません。
優良企業には手間が増え、不良企業は・・・それは後で説明します。
企業に対して国が規制をかけて、検査を入れて厳しくすれば安全が保たれるのかというと、結果から言えば多少は良くなることでしょう。
ただし、一時的にはという注意書きがつきます。効き目は薄いです。
なぜなら・・・
検査するのは誰か?
お役所です。
天下りがどうの、汚職がどうのというニュースを聞いて怒らない人はいないわけです。
でも、一方で
「もっとさぁ、こうこうこういう法律作ってさぁ・・・・」
ということを言っている。
検査を入れて、その人達のお墨付きがなければ動けなくする仕組みを作るということは、裏をかえせば、
その人達に権力を与えて、こちらはお伺いを立てる
という構造を望んで作っていくということです。
僕はその構造に耐えられません。
何をするにも書類を作り、申請して、審査を受けて、結果を待って、仮に一度で首尾良く認可が下りれば、次は検査を待つ。
その検査の進み具合も、申請から承認までのプロセスと同じです。
それを永久に繰り返さなければならないんです。
まどろっこしくてやってられません。
アイデアを形にするプロセスが腐ります。
モーティベーションが下がります。
当然、
「ウチの審査早く通してくれるように政治家に働きかけよう」
「あの担当者にちょっと包むか?」
「ちょっと検査ゆるくしてもらえんかね?ウチ、今予算ないんだよ」
ということになって、元の木阿弥。
金のあるところが伸びて、無理して金を工面する会社、何もしない優良な企業や、弱小企業はへこみます。
天下りや汚職はこうして出来ていくんですが、その仕組みを作ってほしいという要望は、実は僕たち国民の方からも強く出ていたということです。
にもかかわらず、政治家が不正をした、公務員が不正をした、と言っては怒っている。
やること多すぎますから、ただでさえ遅い仕事が進まなくなります。
人の数増やすと怒られますから、最小の人員で。
その組織も、効率という点に関しては民間とは比較できないレベルの意識です。
だったら、便宜をはかってもらって先へ進みたい人が取るのは、あまり美しいとは言えない手段になります。お金とか、物とか。
モラルの低下は、こうして自分自身の首をしめていきます。
ほんの一時だけ、
「へっへっへ?。得しちゃったよ」 (▼▼メ)
という安っぽい満足のために、自由や権利や利益をどんどん削っているのです。
株式投資などで、ある一部の人達が仕組みの隙間を利用して金儲けに励めば、世の中から反感が出てきますから規制が厳しくなります。企業がインチキをすれば、やはり世の中から安全性確保への声が上がり、第三者的に“監視”する機関を設置し、規制が厳しくなり、それはコストに跳ね返り、価格に反映されてきます。
モラルを高く維持することが大切な理由は、こんな所にもつながっていきます。
今、バカな大人達を治そうとするのは無駄な努力です。
隙間から漏れた汚水の味を知ってしまった人達は放っておくしかありません。
未来のある子供達の教育が大切なんです。
親はたった数人、我が家ならたった一人に道徳を示せばいいんです。
だから、まずは親自身が変わらなければ、という所に繋がっていく。
世界を変えろといっているわけではありません。
簡単なことです。
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