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震災の記憶が風化する

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関西の地震が起きてから14年になるのだとか。
地元では、記憶が風化し始めることを懸念しているそうです。
地元ではない僕らの地域では、震災も

ニュースの一つ

程度の認識になってしまったようにも感じます。
でも、記憶が風化するのは、

あまり話しすぎること

も原因の一つではないかと僕は考えています。
例えば、こんな話です。

あの日は、僕はまだアナハイムというディズニーランドの近くのアパートに住んでいました。

衝撃的な映像! 戦争かと思いました。

でも、その時の記憶はもうほとんどありません。
正直に言ってしまえば、地震の怖さをいまだに理解できていないと思います。
この14年、

震災経験者

という方にも複数出会いました。
誤解を覚悟して書くと、その中の数人は、震災の経験を話すとき、

ちょっと得意げ・・・

な雰囲気がありました。
何か、僕ら “未経験者” とは別の境地に入ったような話し方。
例えば、震災で怖い思いをしたという話に相づちを打つ感じで、僕自身の一番怖かった事故の話をしようものなら、

「う?ん、全然レベルが違うよね。あの恐怖とは」

と言い放つ。 (^_^;)
だから、いつの間にかその方の独壇場になって、周りにいた人も、

「へぇ?、そうなんですか。大変でしたね」

程度の反応しか出来なくなってしまったのです。
でも、その方は、

震災の中である種の悟りでも開いたかのように得々と語り続ける。

以前、報道で働いていたとき、戦争経験者にインタビューをしたことがありました。
取材にいったその日、話してくれるはずの方が、

「やっぱり話せない・・・」

と言い始めたのです。
こちらのディレクターは、どうしても話を撮りたいので、説得を試みたのですが、説得すればするほど顔には

怒りの表情が。

そして、

「昨日までは話そうと思ったんだ。だけど、やっぱり思い出したくない」

と、かたくなに拒むのです。
その方が、肩を震わせて怒る姿をみていて、

「戦争って、恐ろしいものだったんだな」

ということが伝わってきました。
聞かなくてもいいってこともあります。
あのおじいさんのように、

戦争が終わってから何十年経っても、話すことすら出来ない恐怖

僕はそれ以来、

あのおじいさんは何を見たんだろう?

と考えながら、話せないほどの恐怖で人の心に深い傷をつける戦争に対して、今までに読んだ戦争体験記よりも強い負のイメージを持つようになりました。

震災の話。
特に比較的被害が少なかった震災経験者自身の中に、

喉元過ぎれば熱さを忘れる

という態度があることは、おそらく地元の人達の中でも気付いているのではないかと予想します。
僕の出会った震災経験者の皆さんは、比較的被害も少なく、

話し方が、野次馬的だった

それが、ものすごく気になって気になって仕方がなかったのです。
実際に本当の恐怖を味わった人は、話せないほどの傷を持ち、話しているのが野次馬話のようなものだとしたら、震災の記憶は風化するというより、陳腐化してしまう恐れがあります。

人が歴史から学ばない理由は、こんなところにもあるのかもしれません。

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