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癒されたい人と癒されてる人

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何かにつけて“癒し”という言葉が出てきます。
世の中には癒されたい人が多いんだと実感します。

少々使われすぎな感もありますが、当社のDIVE LAも英語教材なのに“癒される”という感想をいただくことがあります。意識的に「言葉の優しさ」という要素を含めたかったので、こう評されるととても嬉しいです。

確かにストレスが多い世の中なので、僕自身もストレスから解放されて家族と一緒にいるときや、仲の良い友人と一緒にいるとき、

癒される

という感覚を持ちます。

ところが困ったことに、

癒されたい人と癒す人のバランスが取れていない。

これはどういう意味なのだろうと考えています。

この世に癒されたくない人っていないはずです。
どんなに強い意志で様々な問題や困難を乗り越えている人でも同様です。

100%の人が癒しを求めている。
でも100%の人が癒されているわけではない。

なぜ癒しを求める人が100%なのに、癒される人が100%にならないのか?

そんな上手くいくか!

と、僕も思いますが実際とても不思議です。

癒されたいのは、ストレスがあるから。
ストレスは何かをいうと、他人を含むある環境からの負の力です。

100%の人が癒しを求めていると仮定すれば、その負の力を出しているのは、

“癒されたい当人”ということになります。

全ての人が癒されたいわけなのに、少し外に目を向ければ、

ストレスの原因となる人

がゴマンといるわけです。
様々な場面で相手を傷つけたり、思いやりをもてなかったり、侮辱したり軽蔑したり、罵倒したり。

そんな直接的なアクションがなかったとしても、意地が悪いということで周囲にいる人達に限りなく気を遣わせるような人。

もし自分が癒されたいのなら、まず他人を癒すことを考える
そうすれば、世の中はもっと楽しい場所になるはずです。

とってもユートピアな思想です。
青臭いと思われる向きもあるでしょうが、この考えを青臭いと思う方こそ、ひょっとすると

癒されたい人と癒されてる人のバランスを崩している原因

の素質があるのかもしれません。

こういう人がいます。自分のストレスを、

他人に向けて発散することが“癒し”になる人がいること

人をバカにすることが楽しくて、人が悲しむことが分かっていても、自分の快楽を優先することができるわけです。会社で部下を感情的に叱ってしまう方もこの仲間だと思います。相手を思いやって、将来を考えて叱らないのなら、それは

全て自分のストレス解消法でしかありません。

残念ながら、優しさに由来しないその場その場の“癒し”なんてものは、持続性が全くありません。

一瞬気分がよくなるかもしれませんが、すぐに次の癒し(表現がふさわしくないので、“発散”といいますか)が必要となる。

発散する度に悲しむ人を増やして、その挙げ句に何が待っているかといえば身の破滅です。

誰も幸せにしないのが、利己的な発散です。

先日、僕の住む地域からそれほど離れていないところである女性が拉致され、殺害されました。その犯人はネットで知り合った者同士でした。

そのニュースを見てほとんどの人は怒りを感じたのでしょうが、なんと

「そうやってやればいいのか!」

とヒントを得てしまう、とことん壊れた者が出てきます。犯人をつかまえてみれば、口から出てくる犯行の動機は、

「遊ぶ金が欲しかった」

働くことが楽しくない人は、どんな遊びをしても楽しめません。
人を思いやる気持のない人は、どうやっても愛されません。

僕自身は、家族や周囲の“ストレスのタネ”にならないように、そしていつも癒してもらっているお返しができれば、少しだけ世の中を良くすることができるかも。

全ての人が自分自身を変える努力をすれば、こんなに楽なことはありません。

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