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見ようと思わないと見えない

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我が家から少し行ったところに用水があります。
そこには、かなり大型のコイがうようよ。

水は濁っていて、とても魚にとって良い場所には見えません。
僕は、そっぴくんと散歩に行くと、そこを歩きながら魚影を探します。
比較的簡単に見つかるので、そっぴくんに、

ほら、あそこにコイが泳いでる

と指さすのです。
でも、不思議なことにボウズには見えないのです。

どんなに指を指しても、見つけやすそうな目印を教えてあげても、絶対に見つけることが出来ません。
例外は、真下にいるときくらいのもので、少し離れると見えません。
相手は泳いでいるので、魚影がいつまでも見えるわけではありませんが。

これは、何に対してもそうです。
建物の上の方から、自分たちの車を指さしても、見えません。

別に不思議なことではなく、人は、

見よう

と思わないと見えないし。ある程度、

こんなモノが見えるはず

と思わないと “こんなモノ” も見えないのです。
人間の目は、どんなに視界が広い人でも、

焦点が合うのはただ1点のみで、あとは、全て “背景” となります。

つまり、極端に言えば、そっぴくんが、

あの辺りに魚がいるはず。
その魚は見えるんだ。

と思わなければ、全ては背景に隠れて見えないのです。
僕自身の行動を見ればよく分かります。僕は、その用水を見るとき、明らかに

魚影

を探しています。
魚がいそうなところ、魚がいつもいるところを見ます。
ある程度明確な目標物を頭に描いて見ています。

だから見える。

そっぴくんは、まだ魚がいそうなところを予想できないのです。

だから見えない。

不思議なことに、この逆もあるのです。
そっぴくんが、

あれ、あれ、あそこにある。

と指さして、何かを見せようとしているのに、どうしても僕らには理解できない。この差が、子供が歳を取るにつれて埋まっていき、お互い指さしで何か見せ合うことが出来るのかも知れません。

今のところ、子供と大人は違うモノに関心を持って、違うモノを見ているのだと考えた方が自然なのかもしれません。

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