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昭和55年は良い時代?

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寝るときの読み聞かせで、そっぴくんに “長編” を読みはじめて半年。(http://cobeat.sakura.ne.jp/untamed/blog/archives/527

6冊目に入りました。

読んでいる本は、全て僕が子どもの頃からずっと持っている 佐藤さとる著 コロボックルのシリーズ。

・ コロボックル童話集
・ 誰も知らない小さな国
・ 豆つぶほどの小さな犬
・ 星から落ちた小さな人
・ ふしぎな目をした男の子

そして、今読み始めた 「小さな国のつづきの話」 です。
一日一節ずつ。よく読んだ。
これが我が家にあるコロボックルシリーズ最後だと知って、

「おわっちゃったら、どうするの?」

と聞かれます。別のを読むに決まってる。(笑)

これ、昭和55年に初版が出ているシリーズなので、僕が小学校中学年の頃の話。
読んでいて、ふと気が付きました。

違和感がないのです。

どういうことかというと、途中こんな言葉が出てくるのです。

「こんなにギスギスした時代だから」

むかしっから人の世というのは、ギスギスしてたということです。
古き良き時代?
そうでもないんですね。
ただ、言えるのは、そのギスギスへの許容力が格段に弱っているということです。
つまり、変わったのは世の中ではなくて、人だということ。

人と人との繋がりが希薄になって、支え合って生きていない。
他人が見えないから、必然的に利己的になってしまう。
“個” の時代を強調しすぎて、“個” だけでは生きられないことが見えなくなってしまった。
家族間にも “個” なんて概念を持ち込んでしまった。

細胞が隣の細胞とくっつく意志を失ったら、ダラダラと崩れていくだけです。

世の中にブーたれたって仕方がありません。
昔の人は一緒に乗り切った。
今の人は自分一人で悶々としている。
人から置き去りにされないように携帯にしがみついていても、

個人ばかりを大切にしているわけです。

考えようによっては、世の中はず??っと悪い場所なんです。
夢のような時代はタダの一度もないわけです。戦時中や人権が無かったような時代に比べれば多少良いかもしれませんが。それが人の世、と考えるなら、人の世はどこまでも辛い場所になるようです。

一方で、考えようによっては、世の中はず??っと良い場所とも言えるわけです。
その時代時代の被害妄想が、人を不幸せにしている原因なのだとしたら、やれることはただ一つ。

一人で悶々としないで、人を信用して支え合うしか人間は楽しく生きていけないということ。

不思議なモノで、僕が20代の頃も世の中でこんな言葉を言っている人、書いている人がいっぱいいました。でも、20代には絶対に理解できなかったこと。

人間って気付くのが遅すぎるのかもしれません。
だから、これが理解できるよう小さなうちから子ども達に教育できたら、僕らの子どもが大人になって、

「まあ?イヤな世の中だ」

と、ぼやきっぱなしの人間にならなくてもすむ。こういうことを言うと、競争も、願望も全て捨てて、

じゃあ、行者のようになれってか?

と言われそうですが、そんなはずないじゃん。
ぼやいてばっかりの人が、なにかで成功できるはずがないことは、僕らが見てきたとおりです。
子どもがクヨクヨと悩まない、悩みに真っ正面からぶつかっていけるような人間に育つためには、周囲の人達との共栄共存に価値を感じられるようにしてあげた方が良いです。

結局はあおくさいと揶揄されることって、人が一番欲しがっていることなんじゃないかな。
あおくさいをバカにしてはいけません。

*)
ところで、なんだか優等生的な、共栄共存なんて言葉を掲げると、競争を否定する人も出てきそうで面倒くさいです。
そういう人は、

競争 = 自分だけがのしあがる (または、おちこぼれる)

という概念で話をしているんでしょう。競争とはなにか、

仲間と切磋琢磨すること

です。競争がなければ、人は磨かれない。
学力テスト、体力測定が子どもの害になることなんてあり得ません。
その結果の活かし方を教えられない大人が悪いだけです。

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