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制度が信用できないのではなく

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世の中は、全て

前提

で動いています。少なくとも少し前までは。

例えば、

レストランで食事をするのなら、提供されるものは誠実に作られているはず。
床屋でひげを剃ってもらうのであれば、喉を掻ききられることはないはず。
銀行で行員にパスワードを教えても、悪用されることはないはず。
郵便物は必ず届くはず。
家は誠実に建設されるはず。
検査は規定に則って行われるはず。
クルマのブレーキは、踏めば止まるはず。
製品はしかるべき機能を果たすはず。
猟銃を持っている人は、犯罪に使わないはず。
警察官は世の安全のことばかりを考えているはず。
親は子供を愛しているはず。

全て前提以外の何ものでもありません。
この前提が大きく崩れてきてしまいました。

世の中の多くの人が感じているストレスの原因もここにあるような気がします。

今まで意識もしなかった、そして当然そうあるべきで、疑う余地のないものが疑いの対象になって、しかもそれが疑いだけではすまないことがとても多くなってきました。

物を食べれば、これは大丈夫かなと思い、
人と話せば、この人は本当のことを言ってるのかな?と疑い、
電車に乗れば、事故に遭わないかなと心配して、
タクシーに客が乗れば、この人は犯罪者じゃないかなと疑い、
物を買えば、これはちゃんと動くかな?

そんなことを一日中、細々と心配しているわけじゃないけど、かつて

前提

として信用から始まっていたことを全面的に信用しなくなったことは間違いありません。

そうしてストレスと不安を感じ、どんな相手に対しても“疑い”の目を向ける世の中に、

癒し

というキーワードが出てきたかと思えば、

警察の人間

がその癒しすらも疑いの対象にしてしまったわけです。もとより霊感商法なんてのは疑いの対象ではありますが。(笑)

この動きをどこかで止めようとすることは当然の動きだと思います。でも、

法律を作る
規制を厳しく
取り締まりをする

そんなものは何の解決にもなりません。制度が信用できないのではなく、

人が信用できない

そんな世の中になってしまったのですから。

そして、何か事が起きると法律や規制、取り締まりという声をあげる方々に共通しているのは、

受け身・待ちの姿勢

です。

誰かがやってくれるだろう、という依存です。
世の中を直そうと思うのなら、法律や規制、取り締まりは無意味です。それを管理する人間が信用できないのですから。

できることは、それぞれの人が自分の足下を確認することだけです。
何か悪いことがあったとき、原因は他人ではなく自分にあることも多いのですから。

ここ数年、僕の課題は自分が他人の前提を狂わせていないかをよく理解して、自分を改善することです。それが一番難しくて、一番簡単なことです。

この点に関して自分の今年一年を振り返ると、よく頑張ったんじゃないかと思います。
全然足りませんけど、去年より、一昨年より格段に満足度上がっています。

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