また子どもが犠牲になりました。
しかも、親が犯人だったとか。
どんな理由があったからといって、許されるものではありません、という前提でのお話。
念のため。
何となく予想していたこの結末を聞いても、この母親がとってもかわいそうでした。
自分が病弱で、息子に発育障害(これがどんなものかよく分かりませんが)があり、どうもシングルマザーなのでしょうか?父親の存在がありません。
色んな悩みを、一人で背負ってしまったのだと思います。
誰にも相談できず、相談したからといって誰も解決方法を提示できるはずもなく、それこそ同情だけでは生きていけないというところまで追いつめられてしまったのかもしれません。
孤独感と、不安。
寝ても覚めても、この二つに追い立てられている、しかも先が見えないどころか、先は暗いばかりだとしたら?
そして、自分の持ち駒がどんどん減っていく、自信が揺らいでいく、他人が幸せそうに見える、自分だけが不幸に見える。
こんな心理状態になったら、体の力が抜けてしまって、何も手に付かなくなります。
何かしなければ、前に進まなければ!
と思えば思うほど、今自分がやっていることが遅々として進まないように感じる。
全て無駄なことに感じてくる。
こんな事やってる猶予はない。
でも、他に何をすれば良いのか分からない。
どうしよう、どうしよう・・・・。
相当辛かったと思います。
その結果が、あの事件だったのかもしれません。
幸せにしている人には、絶対に理解できない、この加害者の悩み。
その悩みが、自分勝手な悩みだったのか、それとも周りが本気で同情してしまうような悩みだったのか?
当然僕には分かりません。
全ては僕の勝手な想像で、後者だという前提で書いているだけです。
(せめて、そうであってほしいという願いもあります)
でもね、きっと追いつめられている人で、頑張っているんだけど、もう耐えられない。
そうやって、今日も眠れない人達が沢山いるはずです。
人は誰でも悩みがあります。
それは平等です。
ただし、その悩みへの耐力は人それぞれです。
億の借金があっても平気で眠れる人。
見ず知らずの他人の目が気になって、夜も眠れない人。
心が強い人、弱い人、他人のことなんかどうでもいい人。
この母親に必要だったのは、休息だったんじゃないかな。
ただ寝るだけとかじゃなくて、全ての問題から解放されて心を休ませること。
実際は、一度表出した問題を一瞬消してあげるなんてことは、無理なんですけどね。
個々人の “悩みへの耐力の明確な基準” は未来永劫できないから、
「信じられない事件」
は起き続けます。
一方で、信じられない事件の犯人に共感する人もいます。良い悪いではなく。
僕らが今、自分のストレスに向き合って、自分の耐力の何割くらいを使っているのか?
何かの切っ掛けで、ポーンと耐力の限界を超えてしまう可能性はないのか?
そう考えると、あまり高いところからこの加害者を裁くことができません。
なんとかして、この男の子と母親を一時的にでも引き離して、男の子には安全を、母親には一時でも安らぎを与えられるような機会はなかったのかなと思います。
罪は重いけど、避けられた事件だったのかもしれないと思うと残念です。
(犯罪をしかたないと言っているわけではありません。冒頭の“前提”はゆるぎないものです。念のため)
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