いじめの例を見ていくと、意外に多くの
「この前まで仲が良かったグループから、はじき出された」
というケースがあります。
原因を探るのは一つ一つのケースで違うと思いますが、一つだけ思い当たる節があります。
ある集団にいると、その中で更に小さいグループが出来ます。
そこでは、何でも語り合えるという人間関係が心地良くなります。グループ内では、自分の失敗談や、悩み、恥ずかしいことも全て話して、隠し事がないことが条件となります。
ですが、この条件に合致しない人も出てくるわけです。
それが、
自分がかっこわるく見える馬鹿話はしない人
です。
とはいえ、ここにも二面性があります。
カッコばかりつけていて自分を出したがらない。
恥ずかしがり屋で、自分のことを話すことが苦手。
どちらも結果としては同じ、自分を出さないのですが、前者は集団に属する態度としては非常に危ういものがあります。
たまに、人の馬鹿話を聞いて、
「バカだね?」
「カッコわり?」
「情けね?」
と、他人には否定的で、自分は完全無欠のように振る舞う者もいるわけです。
すると、だんだん集団の中で理由の無い特別意識を持つようになり、それが態度に出ると周囲から、
生意気
秘密主義
などと思われて、排除されてしまう場合があります。
考えてみると、これも家庭での親の教え方が影響しているのかもしれません。
例えば、ある家庭では、家族の誰かがドジな失敗をしたところを見て、朗らかに笑っている。そして、失敗した方も一緒に笑っている。
失敗が明るい笑いの種になっている家庭です。
一方で、誰かが失敗すると、叱ったり、揶揄したり、冷笑を浴びせたり、鼻で笑うような雰囲気のある家庭だと、失敗することは自尊心を傷つける重大事になってしまうわけです。だから隠したがる。
失敗そのものを恐れることはまだいいです。
でも、失敗することで“人からバカにされるから”イヤだ、という理由だけで積極的になれないのだとしたら、人生においてこれほど不利なことはありません。
先日僕の育児教材として紹介した「ザ・シンプソンズ」にこんなエピソードがあります。
主人公のホーマー・シンプソンは、ドジでマヌケな男なのですが、みんなに好かれています。でも、そんなかっこわるい自分に飽き飽きして、ある時、突如として
「マックス・パワー」
と名前を変えて、完全無欠の人間に生まれ変わります。人々はそんなマックスを尊敬してあがめるんですが、結局最後にはみなから疎まれてしまうのです。
最後に、ホーマー・シンプソンに戻ると、また仲間が受け入れてくれて元の人気者に戻ります。ホーマーが最後に仲間のバーテンダーに言います。
「完全無欠だったときは人気がなかったのに、どうしてバカでマヌケに戻ったら人気者になるんだろう?」
バーテンダーは、
「知らないよ、ホーマー。そういうもんなんだよ。」
ほんと、そういうものです。
仲間で居続けるということは、その中で自分の全てを見せることが出来るということです。強いも弱いも全てです。
その態度が信頼に繋がっていくわけです。
自分も出すし相手もだす。
そっぴくんには、どんどん失敗してほしいです。
そして、失敗を笑い飛ばしながら成長していってくれたら、余計な心のブレーキを一つ取り外すことが出来ます。
いいなぁ、そんな人間になりたいなぁ。(笑)
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