先日「見るところが間違っている映画ファン:http://cobeat.sakura.ne.jp/untamed/blog/archives/580」ということを考えていたら、今日の新聞についてきたテレビガイドの表のインタビュー記事にこんなことが書かれているのを見つけました。
「いろんな監督や演出家がいってきたことだけど・・・。1本の作品の欠点を探すことよりも、例え、駄作と言われた作品でも、どこか1カ所に面白さを発見できたら、その方がずっと楽しめる」
寺尾聰:中日新聞週間テレビガイドの記事
人間関係でもそうですが、相手のあら探しばかりしているうちは、最終的には
できたはずの仕事の半分以下
の成果(半分に根拠無し)しか出せないでしょう。
僕も何か嫌なことがあると、自尊心を傷つけたくないばかりに、
悪いのは自分じゃない
あの人のあんな所、こんなところが悪い
自分は一生懸命やっている
と自己防衛、他人攻撃に走ります。恥ずかしながら。
おそらく僕がこういうことをしている時は、相手も僕の悪いところを感じているはずです。僕ほどに相手が僕のあら探しをしているかどうかは別として。(笑)
ところが、もっと現実を見てみると、
そんな相手だろうが、こんな自分だろうが、上手くやっていかなければならない
という現実は変わらないわけです。理想的な相手と、理想的な仕事をしたいのであれば、少なくとも自分が理想的な仕事相手になる努力をするのが礼儀というものです。子供のように、
「相手が変わったら僕も変わる」
と言っていたら、永久に何もかわらないわけです。
自分のことならどれだけ厳しくしても、苦しいのは自分だけ。僕の性質が少しでも向上すれば、他人にとっては歓迎すべきことになります。
今朝の新聞のもう一つの記事で、派遣社員の憂鬱が書かれていました。他の社員の方から、
「派遣さん」
と呼ばれるそうです。こんな人間関係で仕事が上手くいくはずがありません。
人間関係がゴタゴタして、相手のことを尊重できない職場で行われている仕事は、
その仕事の結果で恩恵を受ける末端のお客様
のために行われていないことは明らかです。
その場その場で自分に与えられた課題を潰していくだけ。仕事の成果は、
お客様に良いものが提供できた
ではなくて、
終わった
だけ。給料分の労働を“終えた”だけでは、仕事とは言えません。
相手のために、なんて言葉、若い頃は
「ケッ、かっこつけて。そんなこと本気で考えてないくせに。ただの宣伝文句だ」
と思っていましたが、イヤと言うほど失敗して、悩んで、苦しんで、挫折して、だんだん世の中の仕組みが分かってくると、
それ以外に社会が動いていく理由がない
と行き着くところだということが分かりました。僕も色んな失敗を続けています(笑)が、失敗すればするほど、
相手を尊重すること
が、自分の気持ちを楽にする最短距離だと気付きました。
どんな大きな仕事でも、小さな仕事でも、“終わった”が積み重なっただけの成果、人を踏み台にして築いた成果は、
完全に無意味
です。
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