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嫌いな物も食べてみるか

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避けて通ってきたものに目を向ける努力をしています。

本も同じです。

タイトルで選んでしまうと、結果的に自分の好きな本が多くなってしまいがちです。

読書をしていると、自分の理屈を確認する作業だけやっているような気分になってくるのです。

「そうそう、そう思ってたんだ」とか、
「自分の考え方はあっている」とか。

そりゃそうです。
自分の好みで選んだ本なんですから。(笑)
でも、やってることは足踏みです。

僕ら日本人は、

答え合わせ文化

にドップリ浸ってきたので、自分の考えていることをどこかで確認したいという不安が常にあるようです。

宙ぶらりんが嫌いで、落ち着かない。

そして、権威ある大学教授とかそんな肩書きを持つ人や、社会で認められている(有名人)が堂々と発言していることと自分を重ね合わせて、

このままでオッケー

とばかり、自分の立場を主張してしまいます。

漫画家の小林よしのりさんの漫画は特にその傾向が強くて、日本人が日頃から思っていた、

「日本のこの卑屈な姿勢はなんだ?」

という疑問に対して、比較的安定的な答えを与えていて、それに感化される読者が多いのでしょう。

だから、自分の意見を人前で表現するまえに漫画を読み“答え合わせ”をしてホッとして、自分が少数派であっても、

ある一つの意見として成立する
(だって、小林よしのりが同じ意見なのだから)

といういい加減な根拠を持って発言する。反対意見があっても、それは有名人の後ろ盾があることなので、気にすることはありません。しかも、その意見が前衛的であればあるほど、

かっこよく見える
異端児に見える

という副作用も見逃せません。
つまらない価値観です。

問題は、意見が似るだけに留まらず、

表現方法まで似てしまうこと

です。

小林よしのりさんの表現は、自分の意見をより広く、しかも効果的に広めるための手段として、強烈な漫画表現を使っています。だから、分かりやすい反面、挑発的なので反対意見を持つ者を煽る効果もあります。作者にとっては、世の中に問題提起することが目的なので、この表現は“適切”です。

表現の目的が違います。

一方で、その表現を真似している人達は、堂々としているようで、実は卑屈なままでいることにあまり気付いていません。

人の意見を読んで安心する
反対意見を言われるとあわててしまう(逆上する)

そんなことでは、どこまで行ってもファッションのように自分の見た目を気にするだけの真似思想でしかありません。

情報が足りなくて間違いを指摘されれば、それを正面から受け止めて訂正すればいいし、反対意見に対しては自分の意見の根拠を冷静に述べれば良いだけの話です。

僕が、

嫌いな物も食べてみようか

と思っている理由はここです。自分自身の言葉で考えて、誰に対してでもその根拠を説明するためには、どうしても双方からのインプットを増やさなければなりません。

読書をするとか、メディアからの情報を入れるということは、フィルターのかかっていない素材に触れることはまず期待できません。

それなら、複数の視点を中心に円を描いていき、重なった部分や、異なる部分を知ることで自分の立場を明らかにする表現方法も見つけられます。

今読んでいるのは、

望まれない妊娠で生まれてきた赤ちゃん達

のドキュメントです。

読むのが苦痛です。
これが自分の住む国で起きていることかと思うと、吐き気に近い不快感があります。
といっても、著者は新聞記者なので雑誌のトンデモ記事ではなく、緻密な取材に基づいたドキュメントなので、不要な表現で読者を面白がらせようといった品の無さはありません。

読み終わったらまたここに感想を残しておきます。

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