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日本の文化?

イタリア語講座を見ていて、

イタリア人はバールでコーヒーを飲み、
友人と話をしたり云々・・・
これが、イタリアの文化です。

という場面があって、ふと思いました。

日本の文化って、何?

って言われたら、何と答えますか?

着物
京都
木と紙で出来た家?

そんなのウソでしょう。
既に多くの人は、それらのものを文化として継承してきていないはずです。僕にとって日本の文化って、今は何も答えるものがなくなってしまっています。

強いて言えば、お千代保稲荷が僕にとっての唯一日本らしいものかなぁ。
あとは、味噌汁とか、食文化に関することくらい。
これも、我が家の文化のようなものだから、日本の文化とは少し違います。

夏だから、

花火

なんてものも、風物詩です。
でも、この花火もスポンサーが付かなくなって、存続が怪しくなってきてるらしいです。
それもそのはず、宣伝効果低いですから、企業は無駄と考える。
でも、もともと花火なんて、宣伝効果あまり考えないで、

祭りだ!祭りだ!

という心意気で支えられてきたものです。
それが日本の文化だったわけです。
それでも、花火のプログラムなんかを見ながら、

「あ、何々布団店の提供だって」

と、近所の商店街にある店のことだってすぐ分かりました。
次回パジャマでも買いにいったとき、

「花火でてたねぇ!」

という交流がありました。
これも日本の文化だった。
でも、今は近所の義理とかそんなものより、

通販の方が安い

という感覚で買ってしまうし、通販の商品プレゼンテーション能力がかなりアップしているため、失敗もかなりすくなく、安くてイイモノが買えてしまうから、地元意識もありません。

日本の文化

として、体験したこともないことを子ども達に教えて、外国人に、

「日本では、特別な日に着物を着ます」

とか言わせたところで、何にもならないです。
短期留学の語学学校で、各国の出し物を考えろと言われて、

じゃあ、着物を!

とは言うものの、着物なんて着たことがないから、浴衣くらいで済ませてしまうってのは、よくあることです。他の国は、正装として特有のものがあったりしますが、日本にはありません。

グローバル化もいいけど、残すところは意識的に残す、変わるところは変わるって具合にしていかないと、地元の資料館にしかない、縁もゆかりも馴染みもないものを、

これがこの土地の文化です!

なんて、アホなことになってしまいます。
ずいぶん日本は文化を失ってしまったみたいです。
無くても生きるのに支障はないけど、無いと気付くととても寂しいもんです。

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