高校教師をしている親友がいます。
8年がかりで教師になった、凄いのかいい加減なのかよく分からないヤツ(笑)。
彼とは年に何度も会って、教育について何時間も語りあってきました。
最近はそこに高校の恩師も加わり、かつての赤点小僧(僕<(`^´)>)、教師、教頭先生が同じテーブルで議論しています。
概ね僕らの意見は合っていて、いつも
「そうそう!」
とやっているのですが、ある一点についていつも意見が合いません。
それは、
親を大切にすること
です。
彼は子供達に
親を大切にすることは疑問を挟む余地がない
として教えています。
一方で僕の考え方は、
大切にするかしないかは子供しだい
です。大きく食い違っています。先生という立場を考えれば無理もないことです。
自分が選択の余地なく生まれてきた家庭を、
「定位家族」
といいます。一方で、自分が成長し結婚相手を選び、子供を持つことを決意してできていく家庭を、
「創設家族、または生殖家族」
といいます。僕は生殖家族というとなぜか単細胞生物を連想してしまうので、創設家族ということにしています。
現在結婚している人は、それが創設家族です。
自分で選んで作りました。(望まず結婚させられた場合も同様です)
その中に子がある場合、彼らにとってはそれが定位家族です。
自分で選択した家族ではありません。
この立場の違いで、子供に
親を大切にしろ!
というのは僕は不公平だと思うのです。
親には、子供を愛するか愛さないかという選択肢は一切存在しません。
でも、子供には親を愛するか愛さないかという選択肢はあると僕は思います。
例えば、親が子供を虐待し、浮気(不倫)をし、飢えさせた上に家を出て行ってしまった。そんな親なら大切にされなくても当たり前。
家庭に恵まれなかった子供に、親を大切にしろというのは禁句です。世の中では当たり前のことが、この子にとってはどうしても受け入れられないのです。
これは理解されやすい。ところが、
一生懸命やったのに子供と良い人間関係を築けなかった
という親が数多く存在するために、僕の考えは受け入れがたいものになるようです。
自分自身への戒めも含めていえば、一生懸命やっても子供と良い人間関係を築けなかった親は大切にされなくて当たり前です。
ただし、これも難しい一面があります。
例えば、高校で無茶苦茶に荒れてる我が子が、親に暴力を振るう。
すると、親は当然悲観しますが、10年後その息子が更生して、自分を反省し、
親ってありがたいな
と思うかもしれません。また、その逆の家庭もあるかもしれないのです。
例えば、結婚するまで典型的な良い親子だったものが、結婚後自分の親が嫁さんをイジメる姿を見て幻滅。それ以来縁切り同然に出て行ってしまったとか。
どこをどう切って、
「こいつは親を大切にしていない!」
と決めるのでしょうか?
答えは、
自分が死ぬときにどれだけ相手から想われているか?
自分が死んで時が経って、子供が老いて死ぬとき、親をどう想うか?
それだけじゃないでしょうか。
親としてできることは、ただ一つだと思います。
何かがどこかで食い違って、子供との人間関係に亀裂が入りつつあることをいち早く察知して、その修復に全力を傾けることです。
どこかで投げ出したり、子供の言いなりになったりしないことです。
創設家族に対しては、
何があっても徹底的に相手(夫婦・子供)を想うこと
徹底的に誠実でいること
それだけです。
定位家族として家庭を見ている子供は、親の行動を見て人間のつながりを覚え、幸せな創設家族を築いていくんです。彼らの幸せの中に、自分が入れるかどうかは、それまでの自分の行動次第だと、僕は自戒しています。決して媚びたりおもねったりするという意味ではなく。
それから・・・
親が家族に対して不誠実なことをしてしまったとき生じた亀裂は、一時は消えたように見えるかもしれませんが、子供の成長とともに一気に瓦解するきっかけになります。
不誠実なこと、意味分かりますよね?
親になったのなら、一時的な衝動に惑わされない心を持たなければなりません。
幼稚園の力もスゴイ on August 14th, 2008
勉強の何が大切か? on March 3rd, 2009
一家団欒、って会話の熱源がどこにあるかが重要 on January 31st, 2018
家庭の文化は、怖いよ on September 22nd, 2009
歯抜け on May 4th, 2009