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AMラジオと検索文化

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僕はAMラジオが大好きです。
好きになったのは、ここ2年ちょいくらい。

それまでは、

AMラジオなんて年寄りクサイ

と思っていました。
ひょっとしたら、自分の歳が追いついてしまったのかもしれません。(笑)

僕はハードロックやヘヴィーメタルが大好きで、車に乗るとそればっかり聞いていました。でも、ふとある日気付いたのです。

「車に乗るたびにお気に入りの曲ばかり聞いていて前進があるのか?」

そこで、AMラジオを聞いてみようと思いました。

FMラジオは自分の好みの音楽が多いので、この目的には合いません。
それに、FMのパーソナリティーとはどうも話題が合いません。
既に、恋愛話とかに心ときめかなくなってしまったのです。(笑)

色々な時間帯に車で移動するので、色々なターゲットに向けた番組を聞きます。当然のことながら、主婦を対象にした内容もあったり、老人を対象にしたものもあったりします。

別に聞きたくないものも多いですが、自分に約束をして

同じ放送局を聞き続ける

ことにしています。そうすることで、自分が求めない情報や接触のない人達の気持ちや望み、嗜好が分かるように感じます。

好きなモノばかりに触れていたら、人間は駄目になります。

好きなモノばかり食べていたら不健康になるのと同じです。
特に僕のようなカタブツは、自分の世界にこもって肌に合わない世界を避けていたら、たんなる偏屈になってしまうだけです。

ネット出現以来、情報が検索でポンと出てくるため、自分の興味のあることだけを探してしまいます。それだけで生きていけるだけの、豊富な情報が世の中にはあります。

ラジオなら自分の好きな番組だけ
テレビも同様に
ケーブル放送や衛星放送はもっとその傾向が強い
雑誌も
ネットも同じ
好きなモノだけ選ぶことができる

掃いて捨てるほどの情報の中から、自分の納得できる情報だけをつまんで接していたら、それはそれは凝り固まった価値観を持つことになります。

ジェネレーションギャップという言葉もありますが、この辺から始まるんでしょうね。
35歳くらいから。(笑)

そう思うと、避けて通ってきた世界に積極的に目を向けていかなければとも思うのです。ただ否定するばかりではなく。

僕は20代前半の頃、

己にしかざる者を友とするなかれ。(自分より劣る者を友とはするな)

という孔子の言葉を座右の銘のようにしていました。
孔子の意に反して、とても傲った意味でとらえていたように感じます。

こいつはバカだから付き合わない

とか。自分だって赤点小僧のくせに。(笑)

凝り固まった考え方の大人になってしまうと、自分の子供が大きくなり、自分の好みと外れてしまったところに確執が生まれるのは当たり前です。

子供と大人が同じモノを消費することで、ジェネレーションギャップを埋めることができるという意見もありそうです。(ゲーム・アニメ・趣味等々)

でも、親と子供が同等になってしまうのも無害ではなさそうです。
尊敬できる大人がいなくなれば、子供の未熟な価値観が力を持ってしまう危険もあります。

最近の親殺し、祖父母殺しの事件には、

嫌いな情報にも触れるという姿勢を持たなくても生きていける

情報社会ならではの原因もあるかもしれません。

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