使役態に漂う空しさが嫌いです。
「?に謝らせよう」
「?に謝らせた」
聞くだけで疲れます。 ○| ̄|_
今朝の新聞に、タクシー料金の支払方法に納得がいかず、69歳の運転手を土下座させた上に暴行を働いた34歳の男が逮捕された記事が掲載されていました。運転手はその後急性心不全で亡くなられた一年前の事件です。
人に謝らせる。
ファミリーレストランで、料理が来ないと店長を呼びつけて怒鳴る人
天災で列車が遅れると、駅員にくってかかる人
これらは、一見すると、被害者の立場のように見えます。正しいかどうかは別として、自分の中では意味づけが出来ることでしょう。
暴走族が暴走をとがめられ、逆ギレして「わびをいれろ」と暴行する
これは、自尊心を傷つけられたことへの報復。矛盾した憎悪としか言いようがない。
相手が悪い場合でも、強制や要求の上に引き出した謝罪にどれほどの意味があるのか、僕には分からない。その場しのぎで心がない。
意味があるとしたら、謝罪した方の記憶の中に幾ばくかの傷を付けることができれば、自分の傷が癒されるということでしょう。ただ、犯罪被害者や、被害者家族の場合、その心情を考えればこれは容易に納得出来る。僕だって自分の家族に何かがあったら、「謝罪なんていいから、殺させてくれ」という気持ちになる。善人ぶるつもりは毛頭ない。
しかし、
謝る必要のないことに、無理矢理謝らせること
立場を利用して、優位なところから相手に謝罪を強いる行為
屁理屈で自分の道理を通し、相手に謝らせる(夫婦・男女間に多いですね)
これは、マインドレイプだ。
自分勝手な被害者意識、無意味に高いだけの自尊心を守るために、相手の心を犯し、忘れたくても忘れられないような、
「嫌な思い」
を烙印のように残そうという、浅はかな“謝らせる”という行動は憎むべきものです。
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