残虐な事件が起きると、ホラー映画の影響だとかゲームの影響だとか言う人がいます。
本当にゲームや映画ごときの影響で、そこまで残酷になれるのかどうか。
疑わしいと思います。
子供の頃の経験、人間関係によっては、
かわいそう
という感情がすっぽ抜けてしまうことがあります。
自分の身近な人に対する感情と、自分自身を切り離さなければ、自分の心の安静を保てないような環境に長くいると、どうしても無感情になります。
心の中は無感情。
でも、顔では感情を “演じている” という感じ。
感情を楽しんでいるともいえます。
普段は、普通の人に見えます。
むしろ、感情豊かな人にみえることもあるかもしれません。
親しい人が亡くなったとしても、ポーズとしては悲しんで涙をながしていても、
「なんとなく第三者の目で自分を冷静に見ている」
「もう少し泣いてみようか」
「こんなことを考えてみたら、もう少し悲しさが深くなるんじゃないかな?」
そんなことを考えている、冷めた自分に気付くことってないですか?
もし、そう感じるなら、感情が部分的に抜けている可能性があります。
この抜けが大きくなると、犯罪につながります。
犯罪者に同情する気はさらさら無いです。
でも、UFOの目撃者に絵が上手い人がいないように、心理学者も本当に暗い心を理解できない、幸せな環境で育った人達ばかりなんじゃないかと、このごろ強く感じます。
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