ある人は、夫婦げんかの時、
「口論になると、オレが勝っちゃうから」
と少し自慢げに言っています。
男ってのは、そういう幻想を持ってしまうもののようです。
僕も経験があります。
どんなに口げんかになっても、絶対に自分が悪いと認めず、相手の責任にする良い方法なんて、ゴマンとあります。
理屈
屁理屈
こじつけ
なんでもつかえるとは思うんだけど、本当は自分で勝ってるわけじゃないんです。
相手が折れてくれてるだけ
ってのが大半の“論破”の正体です。
または、相手が“分からず屋を説得する時間の無駄”にいち早く気が付いて、余計な体力を消耗しない方を選んでいるだけかもしれません。
“論破側”は、余計な体力は有り余るほど持っているから、かないません。(笑)
言葉としては、
「なるほど・・・そうか・・・」
「確かにね・・・」
と言ってくれているかもしれないけど、相手の知性をバカにしてはいけません。
この積み重ねが何年にもなると、いつか爆発します。
「どうせ聞かないから、もう勝手にしよう」
とか、とんでもない方向に考えてしまっても責めることはできません。
信頼関係の上に成り立つ人間関係ではなくて、これでは単なる
パワーゲーム
です。
自分がほとんど使う予定のない、というより使わない家事家電の購入にも難癖をつけて、最終決定は自分の“論”で行うという場面もあり、
もう、勝手にして!
の状態です。(笑)
それでも、しっかり家の中の仕事を分担して、いっしょに苦労してくれている労をねぎらい、子育てに積極的に関わって・・・という態度でもあれば話は変わってくるんですけど、たいていの場合は、
クチは出すけど、手は出さない
これじゃ、ダメだ。
そのくせ、相手には優しさとか、忠誠みたいなものを望んだり。
それは無理ってものです。
“論破”
の影に隠れている爆弾に気付かないと、気付いたら取り残されてます。
自分は頭が良いとか、議論が上手いと考えるより、薄っぺらな知識を笑われてると考えるべき。そうして、相手の知性を信頼する方が、全体として最適な状態を作り出せる。
しょせん、誰もが一人では“単なるバカ”でしかないです。
人間ってのは、他人の目が必要な生き物なんだ、と思うんです。
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