京大のカンニングの事件。
昼食時にテレビを見てたら、犯行動機の
「合格したかった」
という言葉に、コメンテーターの方々が妙に安心してた感じがしました。
犯人の子に同調するような雰囲気もあり。
個人的にはあまり大きな事件ではないような気がします。
見つかっていない犯行の方が多いのではないか。
だから、この子にはするべきことはしてあげて、メディアサーカスからは下ろしてあげたほうが良いと思う。
とはいえ、この安心感はどこから来るのか?
この頃の事件は、あまりに理解出来ない動機が多すぎると思うのです。
殺人事件なら、
「憎かった」
「金銭トラブルがあった」
という動機であれば、
「そうでしょう、そうでしょう。動機はそうでなくっちゃ!」
と安心するんです。
でも、
「誰でもよかった」
「むしゃくしゃした」
とか言われると、(~ヘ~;) ウーン と悩んでしまうわけです。
今回の事件。
動機がはっきりしてて、理解しやすい。
だから、犯人に同調しやすい。
人って、意外に単純なことで、許せたり許せなかったりしているだけなのかもしれません。
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