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隙間に入れる言葉みたいだ

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地震から1年経ちました。

あのあと自分で書いていた記事を見てて、

「信じてたものがデタラメだった」

という結果が色々。
なんだかなぁ。
原発もよく分からん。

で、いろんな場所で口を開けば出てくる言葉が、


復興をお祈りしています
pray for Japan

って感じ。

この言葉を聞いていて感じたのは、心に響かない曲によく使われる言葉、

ファイヤー (炎)
ホールド・ミー・タイト (しっかり抱きしめて)
ユー ドント ハフトゥー アフレイド エニ モア (もう恐れなくていいよ)

です。
ど~でもいい曲に、ど~でもいい言葉。

ココになんかたりね~な。
ホールド・ミー・タイトとか入れとけば?

安易です。

Pray for Japan

なんてのは、日本で起きた災害に対して日本人が使う言葉としては、大いに疑問があります。

こうやって書いたほうが、ちょっと洒落てるから

って思って使ってる以外に使う理由が見当たらないんです。
人がホントに苦しんでるのに、

英語の方が洒落てるから

世の中、すべてがエンターテイメントであり、他人から自分がどう見えるかが最も重要なことであり・・・という風情です。

絆もそう。

もう、この言葉、恥ずかしくて使えません。
僕はこの一年、めちゃくちゃ正直に言ってしまうと、

募金もそこそこに
自分の欲しい物を優先することもあり
興味本位で震災の写真を見たこともあり
真剣に 『復興』 を考えたこともなかった
地震のこと自体を忘れて遊び呆けてたこともあり
新聞を見ても、どこか他人ごとで

つまり、普通の生活を送ることができました。
この一年は、僕の人生の中でも割りと幸せな一年だったという皮肉。

本当の苦しみを知らない僕らが、半分エンターテイメントとして

Pray for Japan

なんてやっちゃいけないと思います。
ただ、僕のまわりには、被災地に何度も足を運び、本気で人のためになろうとしていた人が実際にいます。

その人達の顔が、今となってはすごく眩しい。

だからやっぱり、恥ずかしくて 復興 とか 絆 とか、 言えないです。

でも、真っ正直に感じていることは、

ただ、自分がそこに居なかった幸運を喜んではいかんのだろうか?
死ぬという恐怖を感じなくてすんだことは、幸せです。

悲しむばかりではなく、そういう感情も許されるのではないか。

こんな記事もあります。

チーズはどこへ? on November 12th, 2008

謝らせる・マインドレイプ on June 12th, 2007

日本の文化? on July 27th, 2009

公共プールが廃止になって on July 1st, 2009

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