僕より年上の女性で、
おしゃれ?
な人がいます。なんでハテナなのかと言えば、オシャレの定義がずれているような気がするためです。
その人は、綾小路きみまろ風に言えば、
「くずれかけた体型で、半分尻が出るジーパンに無理矢理大根を押し込み・・・」
みたいな感じなのです。 (^_^;)
申し訳ないけど、残酷に美感だけをたよりに言えば、非常にみっともない。
その方のオシャレの定義を表現するとすれば、おしゃれとは、
「世の中で流行っているものの情報に通じていて
それらを間違いなく買いそろえ、
似合う似合わないは別として身につけること」
のようです。それが、どの年代に流行っていて、どんな体型に合うものかは全く関係なく、
流行っているものを知ってなければ、持ってなければオシャレじゃない
という考えに、ほとんど病的に染まっています。痛々しいのは、彼女にとって “世の中で流行っているもの” とは、ファッションで一番輝く世代を対象にしたものであることです。言うなれば、
娘の服だって似合う
と思ってしまったみたい。僕は、
「自分に似合うものがよく分かっていること」
これが、おしゃれだと考えています。考えているだけで、実行はしてません。(笑)
人間は歳を取れば顔にしわができて、白髪が交じり、体型がくずれ、鍛えていなければ筋力が落ちてしなやかさがなくなります。タバコを吸った人は、身体の細胞の劣化が歳を取る毎に加速していきます。この加速度といったら、まさに自由落下という感じです。
流行には、そのど真ん中にいる若年者達に明け渡すべき領域というものがあります。
例えば、20代のおしゃれを40代でするのは、自分としては良いかもしれないけど、周りから見ると痛々しいというようなところ。
でも、それは、かつて自分も楽しんだ領域なので、すり減った人からいさぎよくその領域を明け渡す潔さが、
その次のレベルのオシャレに繋がる
そう思うのです。若さにしがみつくのではなくてね。
僕の遠い知り合いの女性も、自分を客観的に見て、
今の自分
に似合うファッションをすれば、周りが振り返る魅力を持っているのに、ちょっと焦点がずれてしまっているために、正直なところ滑稽にまで見えてしまうのです。
首相の座を放り出した人も、自分を客観的に見られると豪語していましたが、
自分のことは自分が一番分からない
そう思って、謙虚に自分を見てみる必要がありそうです。
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