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体を鍛えることの価値

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体を鍛えることには、単に“かっこよくなりたい”とか“痩せたい”ということ以上の意味がある。この2つの動機が最も長続きしない動機であることはよく知られているけど、体を鍛える価値は、その過程で他の要素が鍛えられていくことにあります。

毎日トレーニングを90分(火曜日だけ休日)続けていますが、いまだに

「今日はちょっと調子が悪いから、トレーニングをやすもうかな」

と思います。でも、とにかく始めるんです。最初5分ほどは苦痛で仕方がない。ところが、10分もすると、壮快になってきます。その時、自分の弱さを少しだけ克服した満足感を得ます。

それから、トレーニングメニューの中に“膝をつかないで腕立て61回”をいれているのですが、これが僕にとってとにかく苦しい!

プッシュアップバーを使っているので、筋肉の端から端までを使う、かなり深い腕立て伏せ。40回を越えると腕全体に苦痛(痛みではありません)を感じ始めます。それからの20回はほとんど「実はこれって体に悪いのでは?」と思うほど。苦痛に押されて動かなくなりつつある腕を必死に曲げたり伸ばしたりして61回やります。

この61回を始める前にまず自分の弱さとの戦いがあります。あまりの苦しさに、なかなかスターティングポジションを取ることが出来ない!
なにしろ、一度スターティングポジションを取れば、61回は休めない。休んだら、自分に負けるから、それが口惜しい!でも、

「よし、始めろ」

と小さく声に出して始めます。そうすると、出来てしまうんです。なのに、怖じ気づくんです。ここが、僕が克服しなければならない弱点です。

こんな戦いを毎日毎日繰り返すうち、仕事上のストレスを全く感じなくなりました。問題解決は先送りせず、真っ向勝負の毎日。先に送ったところで、悪くなって襲ってくるだけですから。

体を鍛えなくても心の強い人もいるでしょうが、最後の一踏ん張りは体力と気力の総合力。僕の場合は、体を鍛えることで将来大きなストレスが来たとしても絶対に乗り越えてやる、絶対ストレスに勝てるという心を持てるように感じます。

ところで、なんで腕立て“61回”なの?と思った方のために。

不思議なモノで、人間には自分で“壁”を作る癖があるみたいなのです。例えば、

「よし、あと10回」

と思えば、本当に10回で息が切れる。で、思ったのは、

「なんでそんなにキレイな数字で限界がくるの?」

という疑問。

つまり、自分で壁を作ってしまっているということ。それなら、61回にして、キリの良くないところに設定しようということにしたのです。その他のトレーニングは、63回とか。

キレイな数字を極力避け、気持ち悪い回数を設定することで、自分の頭を混乱させて“壁”の意識を消せないかという試みです。

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