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洗礼:息子、殴られたらしいです(笑)

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今日は近所の友だち+お母さん、そっぴくん+妻の4人で公園に行ったらしいです。
割と機嫌良く遊んでたという話だったのに、風呂の中で別件で叱っている(笑)途中で、そっぴくんが泣き出しました。

「きょうはイヤなことばっかりだ!公園で大きい子に首締められたし!」

なにっ!首を絞められただと???

事情をよく聞いてみると、公園の遊具で危ないことをしていた小学生にウチのボウズが注意をしたら、反撃をくらったということ。僕に似て、そっぴくんは黙っていられない性質なのです。

自分だって悪いことばっかりするくせに。(笑)

のど輪をかけられていたら、後ろに一人増えて背中にもゲンコツされたのだとか。二人か三人がかりで幼稚園児いたぶる、コイツらも卑怯だけどね。もし僕がそこにいたら、全員“気をつけ!”でお説教してやったのに。

そっぴくんが殴られたのは自業自得。生意気を言えば、自分がどんなに正しくてもそういう反撃を食らうというのは、一人っ子のそっぴくんにとっては掛け替えのない経験です。これに関してはこの小学生達に感謝しています。

しかし、そこから先は今度は、小学生達が僕からレッスンを受ける、というのが社会の正しい在り方なんですね。

小さな子に乱暴したら、大人から叱られる。

今回は僕はいなかったし、妻にも言いつけなかったからその部分ができませんでしたけど。

とはいえ、少々口のききかたが生意気なことは前から気になっていたので、

「ついに世の中の洗礼を受けたな」

と思わず笑ってしまった僕です。

世間は理不尽なものです。正しいことを言っていれば、言われた方が素直に聞くなんてことは絶対にありません。言うのならそれなりの覚悟がいる。

この場合の叱り方は難しいです。
強そうなヤツだったら変なこと言うな!というのも、将来、見て見ぬふりをする人間になってしまってもいけないし。

本当に難しい。

でも、一つだけ親としてやっておかなければならないことがありました。

この経験を惨めな、怖い思い出として記憶させてはいけない、ということ。

僕はそっぴくんに言い聞かせました。
人間関係ってのは、どれくらいの言い方をしたら相手がどう感じるのか、そういうことを失敗を繰り返して覚えていかなければならないのです。たしかにちょっとイヤな思いをしても、言葉だけでは教えられないことがたくさんあるものです。
良い経験したと思います。

こんな時、大人が絶対やってはいけない大きな間違いは、ただやさしく慰めることです。

ここで、抱きしめて慰めて、忘れさせようとすると、確実にキズになります。
弱い子どもになります。

こういう場合は、しっかりと何が起きたのか、どうして起きたのか、それはどういう意味なのか、目をそらさせないで理解させた方が、正しい記憶、思い出しても害のない “良い経験” になります。ここのケアができないと、

あの公園、もう行きたくない

という、“嫌な思い出と場所等” の記憶の連携ができてしまいます。それが“あの”公園ではなく、

“公園(全般)” = イヤな場所、イヤなことがあった場所

という一般化した厄介な記憶の連携まで行ってしまうと、子どもの行動を抑制するようになってしまいます。

記憶が邪魔して、活動的になれなくなってしまう。
行動範囲を制限されてしまう。

これだけは絶対に避けなければなりません。
忘れさせても良いことはないのです。忘れることは不可能ですから、逆に覚えておくべき記憶に変えられるよう指導してあげることです。

最後に親ばかですが、絶対的に誇らしいこと。

うちのそっぴは、小学生にやられても、涙を見せなかった!

偉いぞ、そっぴ。
男だ、そっぴ。(笑)

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