ロッキー・ザ・ファイナル を観ました。
色々言いたいことがある人も多そうな映画ですが、30半ばの僕にとってはすごく必要な、薬のような映画です。
今もそうですが、僕はいつでも夢を追っかけています。
夢の種類はずいぶん変わってきましたが。(笑)
僕の年齢ならとうの昔に夢を実現している人も多い。
でもいいんです。
これが僕にできるスピードだから。
言ってみれば僕は、まだ挫折したり悩んだり、20代前半の子達とおなじような所で燻っているわけです。(笑)
先日あるところで医学生の女性二人組の話を聞きました。
どうも知り合いが劇団か何かにかかわっているようで、飲み会なんかで夢の話をするのだとか。でも、この女性達は、
「オレはビッグになってやる!とか言ってるけど、仕事しろよって感じ」
「人に使われたくないっ!ってバカみたいなプライドを持ってる」
ということを言っています。話が堅実で、地に足がついています。自分のことを言われているみたいで、身につまされます。(^_^;)
この子達は医学生です。
だからそんなこと言っていられるのか? ちょっと違うみたい。
はたから見ると、明るい未来が約束されているように見えても、実はそうでもないらしい。
「親が開業医だったら話は早い」
「自費で開業するなんて、結局は無理」
堅実なんだけど、20代前半にしては勢いがない。
どこにでも悩みはあるものです。誰が得とか、有利とか、そんな話でもないのです。
夢ってのは、追いかけているときは、はたから見るとものすごく馬鹿馬鹿しいものに見えたりします。絶対に掴めないものを追っかけているような、はかなさもあります。
夢ってのは宗教みたいなものです。
生きる意味を見いだせなかった人が宗教に目覚めるときもあるように、夢に生きる意味を見いだしている人にとっては、失敗しても何かを成し遂げたいという気持は、歳を取ってから後悔のタネになることはないでしょう。
むしろ、やらなかった自分に対して悔やみながら生きることになる。
または、やり切らなかった自分に悔やむことになる。
夢を見ているふりをして、ただ怠惰に生きてしまった人も後悔することになります。
あんなに甘かった夢も、歳を取ると見たくもない苦いものになります。
そんな人は、ある年齢にさしかかると、
「あいつはオヤジが社長だったから」
「運が良かっただけ」
と、自分になかったのは環境だっただけというイイワケを始めます。
イイワケを始めるのは、終わりを宣言しているのです。
自分の力量に嫌気がさして、これ以上は望めないと自覚したときです。
ロッキーは、イイワケをしません。
60歳になってもぶつかっていきます。
映画の中の話だ、おとぎ話だと笑っていられません。
シルベスター・スタローン自身が、売れない役者(と言っても映画に出ていましたが)時代に、ロッキーを書き、少ない予算で制作して、世界中で評価された夢の実現者なのだから僕らロッキー4世代には掛け替えのない師のような人です。
ロッキー・ザ・ファイナルは、かっこいい映画でもないし、派手な音楽があるわけでもない。
エンディングも最近の映画に珍しく、オーケストラの演奏で終わる。
この終わり方が、夢の正しい終わり方なんだと思います。
若いロッキーが豪邸に住んでスーパーカーを乗り回す、2作目以降の作品のどれもがロッキーのエンディングにはふさわしくないのです。
夢はかなっても、かなわなくても、挑戦すらしなくても泥臭いものです。
途中であきらめて、成功した人を野次るのも泥臭い。
挑戦もしないで、人の“結果”をみて批評するだけというのも泥臭い。
失敗した人を見てホッとするのも、あざけるのも泥臭い。
失敗して地をはうような苦労をするのも泥臭い。
成功して、歳を取って昔の光を失っていくのも泥臭い。
親が芸能人でも、大金持ちでも、社長でも関係ない、それぞれの立場の人にそれぞれの苦労は等分にあるはずです。楽な人生なんてどこにもなさそうです。
ここまで来ちゃったんだから、トコトンやるしかないですね。(笑)
ロッキーは、僕が中学生の頃から生きる教科書みたいな映画です。
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