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消費者としての自分と他人

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何かの本で、

「子供が他人を意識する時は、消費者としての視点から始まる」

と書かれていました。つまり、

お客様としての自分

ということです。

僕が子供の頃は、大人は線を引いた向こうの存在でした。生意気を言っていたらゲンコツが飛んでくるかもしれなかったし、飲食店なんかに入ろうものなら、

「あんたらっ!保護者は?」

と言われることだってあったはずです。大人が子供をちゃんと見ていたわけです。

でも、今の子ども達は子供同士で飲食店に入り、当然自分よりずっと年上の大人から

大人同様にサービスを受けている

わけです。日本は、マニュアル化されたサービスをしているため、相手が小学生だろうが老人だろうが同じサービスをします。これが悪いわけではありません、念のため。

時代が変わったのだから子ども達の行動範囲が広がることは避けられません。

とはいえ、子ども達が大人に対してどのように対応するかは、日々の体験から学びます。

つまり、親の行動です。

悪い例の方が分かりやすいので、不満があった場合のことを書きます。
ここで親がウエイターやウエイトレスをぞんざいに扱うような態度を見せていれば、子ども達はそれと同様の態度を取ります。丁寧な不満の伝え方ができれば問題ありません。言われて当然の不満は、相手の改善の切っ掛けになるわけですから、黙っている必要はありません。

問題は、凄い剣幕で怒鳴り散らすような人です。

それを見て育てられた子は、サービス業なんてやりたくもないと思うだろうし、

お客様として扱われること
お客様としての権利

だけを求めるようになって、

お客様を喜ばせること

を考える子になれるとは思えません。行き着く先は、

「自分は常に特別扱いをされて、
嫌な思いをしなくてよくて、
人を使うだけの立場」

です。
そんな立場が存在しているとしたら、人を悲しませているだけの可能性が高いです。

社会というのは、常に

自分がお客様であると同時に、他人が自分のお客様である

のです。いくら会社の中でお客様と直接接触することがなかったとしても、どこかでサービスとその対価の移動がないと“給料”の根拠がなくなります。

社会の仕組みを考えたら、いつ、どんなときでも他人に対してぞんざいな態度を取ることは理屈に合わないはずなのですが、今後は不思議な特権意識を持ってしまう人が増えていくような気配があります。

もちろん、だからといって適当なサービスや製品を提供されても不満を言ってはいけないわけではありません。それぞれの人が、よいサービスを提供するように努力して、お互いが満足していける社会になれば一番いいんですけどね。

ユートピア思想だと言われそうです。
でも、どんなに不満があっても人をぞんざいに扱う姿は子供に見られたくないものです。
きっと、“よい不満の伝え方”があるはずです。

そういうのが、最近流行の“品格”というものでもあるのでしょう。

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