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人の狂気は意外に近い

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このごろちょっとやそっとのことでは驚かなくなってしまいました。佐世保の事件といい、その前の猟銃で親戚を殺した事件だとか、我が子を餓死させた事件など。

驚かなくなったということは、狂気が自分の中に自然に存在しかけているということです。

「ナチュラルボーンキラーズ」

という映画がありました。
この映画は、殺人者のカップルが行く先々で人を殺すだけの映画でした。

生まれながらの殺人者

この映画が上映されていた頃、僕は映画学校にいたのですが、教師が言っていました。

「あんな酷い映画を見せられて、映画も返金制度を設けるべきだ」

僕はあの映画がそれほど酷い映画だとは思いませんでした。それより、映画を見ている途中で、不謹慎にも

「人殺しって悪いことなのかな?」

と感じてしまった自分にショックを受けました。この映画でオリバーストーン監督がやろうとしていたことは、

全ての“普通の人達”の心の中にある狂気

を意識させようと考えたのではないか?

人の心の中には、人を傷つけたいという願望がどこかにあって、それにいち早く気付いたストーン監督が、

正常と狂気というのは、背中合わせなのだ
いつ何時、誰が狂うか分からない

ということを強烈に映画化したのではないか。

かつて卑怯なことは忌み嫌われていました。
勤勉さは美徳でした。
思いやりやいたわりは当然のことでした。

でも、いつの間にか卑怯なことをしてでも金を儲ければ良いと考えたり、不労所得などという言葉が普通に言われ、社会に対して問題提起をしたり、商業主義から消費者を守ったり、批判的な視点を提供する立場の新聞社のホームページにまで、

「ダメサラリーマンが37日で216万稼いだ
 非常識な方法とは?」

なんて、いかにもホントっぽい数字で釣ろうとする広告が入る時代です。もちろん新聞社が意識的にその広告を選んだのではなく、PPCのシステムが選んでいるのですが。

そして、障害者や老人のような弱い立場の人達からでも金を奪ってやろうと考えるようになる。自分だけ、自分の家庭だけ、自分の子供だけという抜け駆け意識の強い社会にもなりました。

これらは全て狂気の一部です。

この延長に佐世保の事件があると言ってもいいと思います。

狂気は意外に自分の近くにあります。
その狂気が一生目覚めない人もいれば、何かのタイミングで動き出してしまう人もいる。

人間というのは、とても弱いモノです。
良識的、常識的、正常でいることは自動的に起きることではないようです。

意識して、慣れてしまいそうな狂気に対して闘いを挑んでいかなければ、

自分の中の狂気

に簡単に心を乗っ取られてしまうようです。

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