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感情は単なるスイッチか?

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僕は今でこそこんな仕事をしていますが、中学生になったばかりで英語を勉強するようになってすぐ、英語が大嫌いになりました。

それは英語が難しいからでもなんでもなく、

先生の心ない一言

が僕のやる気を削いでしまったのです。
始めにお断りしておきますが、この古傷を披露して先生を責めようという主旨ではありません。(笑)

子供だった僕は気に入らないことを言われて、

「こんな先生の授業なんか聞くもんか!」

と先生に叱られようが、立たされようが無視していました。

子供の意識ってこの程度のものです。

先生への反抗

と、

英語という能力の習得

これが天秤にかかっていることが分からないのです。
そもそも英語力が将来どう役立つのか、具体的に分からないわけですし。

幸いこの先生の授業を受けなかったことが、僕の英語に致命傷を与えたということはなく、結果的にダメージはゼロどころか、僕を奮起させる切っ掛けになったという現実もあります。

子供が勉強をしなくなる理由に、

「あの先生が嫌い」

があります。それは、カレーが嫌いな子が、

「ニンジンが嫌いだから」

と言っているのとほぼ同じことです。

ちょっと違うのは、ニンジンを排除すればカレーは食べるけど、仮に先生を排除しても勉強が好きになることは考えにくい点です。(笑)

子供は一部を嫌うことで全部を拒否してしまいます。
当然大人にもこの傾向がある。

最近は有名人のブログでの些細な言葉のアヤに対して、全否定でかかる“炎上”という攻撃があるようですが、その一方で、台湾の方々がアニメソングを大勢で歌えば、台湾大好きになったというコメントが出るとか。

自分の意見と合う人は全肯定
自分の意見と合わない人は全否定

ここには、プラスとマイナスしか存在していません。

一つの意見は違っても、おそらく倫理観などに関して話せば相容れる部分がきっとあります。

大人が子供にこのプラスマイナスの両極端な価値観を見せつけてしまうと、子供はその通りに対応するようになり、

感情は単なるスイッチ

になってしまいます。

複雑なことを受け入れて、答えのないことや、矛盾を持ったままでいいと教えていくべきかもしれません。ストレスも格段に少ない人になれます。

その上で当然、自分の主張を持つ必要はある。
いつも宙ぶらりんではいけませんから。
勉強や読書の目的はその主張の真偽を確かめたり、補強したりすることです。
色んな方向から脳を揺さぶる。
だから反対意見にも目を通す必要がある。

今、アルジャジーラについての本を読んでいます。
この得体の知れないテレビ局に持つ恐れが、今まで僕の偏見を形作っていたのですが、知ってみると、実はこの人達のやり方で報道の失った姿を取り戻そうとしている努力のテレビ局なのかも、と思いました。

全否定は恐怖から始まるのかも。
しかし読みにくい、この本。
ページの周囲の余白が少なくって読みにくいったらないです。
内容は凄いのに、読む気力を維持するのが大変・・・。

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