昨日、夕食時にそっぴくんが自慢げに話してくれました。
そっぴくん 「きょうね、えんちょうせんせいが『うんどうかい、いつかわかるひと!』ってきいたから、そっぴくん、てをぴんぴんにあげてこたえたよ!てをあげたのは、そっぴくんだけだった」
僕 「お、えらいな。なんて答えたの?」
そっぴくん 「あしたのそのつぎ」
僕 「教室で聞かれたの?」
そっぴくん 「ううん、しゅうかいで」
僕 「ん?年長さんもおった(いた)の?」
そっぴくん 「うん。ぜんぶ」
僕 「ほ?!すごいな!」
親ばか承知で僕が息子を誇りに思うのは、度胸が良いところです。
つまらない恥ずかしさってものを全く持っていないところです。
見ていると羨ましくなります。
大きくなるに従い、人を不自由にしていくのは羞恥心だと思います。
マナーの悪いことを恥じない“恥知らず”ではなくて。
つまらない恥の気持を取りさってやることができたら、子供ってもっと他のことに集中できるはずです。
大きくなると、つまらないことで恥を感じます。
人前で間違えること
学校でうんこをすること
いろいろあります。
こういう恥ずかしい場面が年々増えていき、気付いたときには不要な感情でがんじがらめになってしまっています。
もう少し自由になりたい
というストレスを感じる大人が多いのは、無難なことを奨励して、一見慎重にみえる生き方を良しとしてきた環境がありそうです。
まずは、堂々と表現させること。
間違えたときは、堂々と間違いを認めること。
間違えた先に何があるのかをあらかじめ教えておくこと。
免疫をつけてあげれば、恥ずかしさなんてどうってことありません。
「思ったことはちゃんと言う」
「間違えても取り繕う必要はない」
「間違えたら笑う子もいる」
「人の失敗を見て笑うだけの子は卑怯だ」
そういう事を教えたいです。
ちょっと見方を変えると、人の間違いを笑う子供達というのは、そっぴくんの成長のために存在するようなものです。みんながみんな人の間違いを笑わずに認めあえるのが理想ではありますけれど、成長には障壁も必要なのです。
と偉そうなことを言っていても、正直に白状すると僕は何もしていません。(^_^;)
ちらっとアドバイスじみたことを言うこともありますが、それはどちらかというと確認のようなことで、そっぴくんがかってにそういう性格を身につけていると言った方が正しいです。
自分で気付いて自分なりの美学をもつ男になってもらいたいものです。
僕はそういう男ではないので、そんな男を育てる方法を知らないのが辛い。 (>_<)
親ばか度全開です。
いいんです。
僕は息子の人生に責任があるんですから、ばかがつくぐらいが丁度いい。
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