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占い・迷信のようなもの

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ちょっと恥ずかしい話なんですが、言ってしまいます。

子供の頃、庭先にカーポートを作るため、今まであった門柱を引き倒してその場に埋めました。そして、その上に車を停めていました。

数ヶ月して、突然親がその門柱を掘り出し、庭の隅に置き、塩だのお供え物だのをしはじめました。そして、

「毎朝家族で拝む」

というので、やらされました。

家族仲が悪いので寺の坊さんか何かに見てもらったら、

門柱を埋めたのが悪い

ということになったらしい。

テキトウなことを言う坊主です。

毎朝家族で並んで引き倒した門柱に手を合わせる姿を同級生に見られたくなくて、嫌で嫌で仕方がなかったです。

その10年後、家を建てることになり、親は今度はなんだかワケの分からない分度器みたいなものを図面の上に当てて、

「間取りをああすると駄目、こうすると駄目」

とやり始めました。どうも、何かの法則に従って間取りを決めると、

家族仲がよくなる

と本気で信じていたらしいのです。色んな希望を出しても、

「それは運勢が悪くなるから出来ない」

という話になるので、だんだん

「じゃ、勝手にすれば?」

完全にやる気無し。
窮屈で仕方がないのです。
しかし、僕の望みは密かにかなえられました。
その望みとは、

家族と顔をあわせなくても、一人でいられる部屋

です。その部屋も、その分度器に嫌われないように作図されたので、そのまま建築されました。(笑)

ところで10年前、毎朝門柱拝んで家族仲は良くなったんでしょうか?

家の間取りで変わる運勢なんて何の意味もありません。
10年経ってもまだ“家族仲がよくなる特効薬”を

それぞれが、それぞれの問題点を変える努力はせず
環境を変える(家を建てる)ことで劇的に実現しよう

としているわけですから、良い結果が出ないのは当たり前だったのでしょう。

今その家庭がどうなっているかは、詳しくは言いません。

僕の今までの人生で

占いや、祈祷の類、おまじない

で救われたことは全くありません。

子供の頃から、何か悪いことがあると祈祷や御祓い、占いをしてもらったことに満足して、結果を見ずして安心している大人を否定的に見るようになりました。

問題の解決方法は常に自分の中にしかありません。

家庭を円満にしたければ、神社にいってこうべを垂れていればいいとか、お札を貼るとかそういうことに何の意味もありません。

家族仲が悪いといって、御祓いを受けるという発想は、

自分ではどうしようもない部分に原因があると思っている気配

があります。つまり、

自分ではどうしようもない = 他人に原因がある = 自分には非がない

これでは絶対に状況は改善しません。

僕が占いに縁がないのは、自分に問題がたくさんあることが分かってるからかも。
まだまだ変えたい部分は山盛りですから。

こんな記事もあります。

買うだけの生活に文化はあるのか? on August 6th, 2008

根気よく on October 21st, 2009

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