以前、人から新しい事業への投資話を聞きました。
簡単に言うと、日本国内で取得すべき国家資格を海外で“簡単に取らせる”学校を作る。他国の政府にまで根回ししてやろうとしていました(結局出来たのか出来てないのか知りません)。
対象は、国内では資格試験に合格できそうもない学生。
お金を払うのは誰か?
その親です。何のために?
家業を継がせるためです。
その家業を継ぐには免許がいる。
免許は、持っていればいいというものではないはずです。
でも関係者はこう言っていました、
「自分の子を継がせるためなら、どれだけでも出すバカ親はいっぱいいるからな」
社会の役にたつ事業ではないことを創業側が認識しているのだからタチが悪いです。
資格は、その職業にふさわしい思想と技術があってこそのものです。
それを、
「うちは○○の家系だ!」
とばかり、金を積んででも自分の子供に家業を継がせようとするのです。人のためでも、社会のためでもなんでもありません。
ただ、自分の、そして自分の家系のプライドのため。
英語の実力をはかるために、TOEICやTOEFLという試験があります。
800点だか900点だかを競って、その数字の大きさで自分の格が決まるような顔をしている人もいます。
TOEICなんて、テクニックで高得点をあげられる要素が多いので、数字だけを上げることはできます。多くの塾や教材では、そのテクニックによって見た目の点数を上げさせ、それを顧客満足度のよりどころにしていています。
顧客の方も、本質を求めるのではなく、分かりやすい結果を求めるために間違った方向へ誘導されても分からなくなってしまいます。
そんな試験でどんなに高得点を取っても、コミュニケーションで生かせなければ全く無意味なのです。
試験の結果というのはあくまでも結果であって、実力でも技術でもありません。。
こういう失敗を人間は代々繰り返していくようです。
医者の家系だから、医者になる。
政治家の家系だから、政治家になる。
経営者の子供だから、社長になる。
家系なんてのは、実力が伴わなければ無意味です。
その“家系”の精神を教えることなく、ただその結果だけをズルズルと引きずっていくのは、倫理がどうかしているとしか思えません。
本質を知らずに、自分が何のために努力しているのかすら知らずに大きくなる子供は、大きくなってアイデンティティの障害を持って生きることになります。
子供が何のために“努力”をするのか、目的意識をハッキリと教えられる親にならなければ。
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