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美しさと躾の完結関係

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漢字をバラバラに分解して物事を説明するのは個人的には嫌いです。
でも、これは先人の知恵を感じますね。

しつけとは、身が美しいと書く。

美的感覚って、人間にとって根本的に必要なものです。

ある数学者は、数式が美しいといって、それが美しい景色と通じるとか。
なんのこっちゃという感じですが、美的感覚のない人に数学はできないらしい。美的感覚があっても駄目な人はいるけど、無い人は全く駄目だそうです。

文学者は文章の中に美しさを感じる。これは僕もなんとなく理解できる。

絵描きの美的感覚は当然すぎる。写真や映像も同じです。
僕は映画をやってきたので、僕のパートナーのC.C.ピアソンの映像なんかを見るとその美しさに痺れます。ここに彼の作品があるので見て痺れてください。

そして、話は躾に向かいます。

ヒジをついて飯を食う。 ←美しくない
口を開けて飯を食う。 ←美しくない
ごろごろと寝転がる。 ←美しくない
靴を脱ぎ散らかす。 ←美しくない!

そろそろくどくなってきました。でも、これはどうでしょうか。

人をいじめること。
妬んだり、羨んだりすること。
怠けること。
嘘をつくこと。
人を裏切ること。
人を騙すこと。
小動物を虐待すること。

すべて、美しくないです。

何をどうしつけるか?

美しくないモノを美しくすること。

つまり、親の僕たちが美しさを大切にしていないと、自分の子供の行為が美しいのか美しくないのかすら分からない。

美しさと言えば、料理の上にちょんちょんと載ったパセリだとか、ネギがあるだけで色として全体が完結します。完結したモノを見ると人間は落ち着きます。調和が取れているとも言いますが、僕は完結という言葉が好きです。

それが美的感覚というものです。

完結している > 美しい > 心が落ち着く > 躾

これを子供に教えるためには、やっぱり親がまず自分を磨くことしかないと思うのです。
料理にしても、身体にしても、アタマにしても。

えらいところへ足を踏み入れてしまいましたね。(笑)

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