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中毒を文化と呼べるのか?

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携帯電話、とても便利ですけど、実はあまり好きではありません。
なので、電話がかかってくることって、とても少ないのです。
メールもごく親しい人とだけしているし、パケット通信は一切やりません。そもそも、契約しているプランがパケットフリーじゃなかったりするので、携帯でネットなんて仕事の相手から

これ見てみて

とでも言われない限り見たことないです。
昨日、昼食時に街を走っていて、道ばたで異様な光景を見ました。

作業員の5・6人が歩道に寝そべって、それぞれが携帯をやっている

そういう景色。
携帯は基本的には受動的な端末だから、情報を受けているだけの機械。
絶対必要な情報という場合は圧倒的に少なく、大きくくくれば

ほぼエンターテイメント

なわけです。
しかも、各メディアが発表する

携帯の未来

というのは、なんてことはない

エンターテイメントと発注端末の融合

なわけですから、ここでようやく能動的なアクションが取れるとはいえ、買い物程度なわけです。

街角でしゃがみ込んで、廻りも見えず携帯の小さな画面を注視する人達を見ると、学生の頃に歴史の教科書で見た

アヘン戦争

の絵を思い出します。
アヘンをすって、廃人になっている街の人々です。
長いパイプをくわえて、ぼーっとしているその図は、どこか携帯を持つ人のイメージに繋がっています。

車に乗っても、前を走る車のダッシュボードでテレビがついている。
街を歩けば、駅のホームでワンセグを見てる。
待ち合わせをする人も、待ち人が来るまで携帯。
子供は携帯ゲームに夢中。
風呂にまでテレビをつけることが、“贅沢”なのだとか。
活字(本)は売れず、見ているだけで情報がすっ飛んでいくメディアが受ける。

インフルエンザで外に行かないから、ウチで一家団欒・・・

ともいかず、ゲームの売れ行きが伸びているそうです。
かつて、ここまで人間が起きてから寝るまで、

すき間無く自分の時間をエンターテイメントで埋め尽くす

こんな時代はなかったと思います。

これを “文化” と呼んで疑問を感じないのかなと思うわけです。

一瞬も何かを忘れることが出来ない姿は、別の言葉で言えば

中毒そのもの

です。アヘンに毒されて、廃人化してしまうことと何らかわりはありません。人が作った刺激を買うことだけで人生の大半を過ごしてしまうことに、僕は恐怖を感じます。

中毒は文化ではありません。

病気です。

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