タレントの逮捕で、同情的な意見やら、攻撃的な意見など、色々出ています。
やったことだけを見てみれば、ハッキリ言って
大騒ぎすることか?
と思います。
恥ずかしい事件で顔をさらして、全国的に注目されて、謝罪までさせられて。有名税とはいえ、一人の人間にここまでの恥を強いる必要があるのか?とも思います。
僕があの場所に座らされたら、一生トラウマになって普通に生きていけないと思います。
ただし、それを単純にかわいそうだということは難しいです。
全国的に顔を知られていることの影響力。
しかも、経済的な責任を考えると、事件がくだらなければくだらないほど、
何をやっとるんだ!
という、世間からの風当たりも強くなります。
企業としては、知名度というブランドに大金を支払って、
企業の顔
として採用するわけです。
このお金は、従業員の皆さんが毎日の営業で得てきたお金です。
給料だって、うはうはという額ではないのに、上手くやりくりして生きている人達の、その企業の営業を少しでも楽にするために、
知名度を買う。
企業の顔になってしまったら、もう個人としての生活はあまり尊重されないかもしれません。
契約によっては、普段の生活も全て制約されてしまうという場合も実際にあります。
買う物の銘柄まで指定されるという生活をしているタレントも、世界にはいます。
そのタレントの行動でキズがついた評判は、補償のしようがありません。
だから、個人としては同情します。
でも、消費対象としてのタレントという存在に対しては批判的です。
折角作った映画が公開されないかもしれないとか。
作ったスタッフは、たとえアシスタントでも、自分の名前がオンエアされることを楽しみにしていたかもしれません。
これが初めての映画だったかもしれないし。
親に「オレの名前、出てくるから見ててよ!」
なんて、人生最大のイベントだったかもしれないのです。
それを、酒を飲むのが楽しいからとぶちこわされたとしたら、その方々の無念さといったら。
もちろん、公開されないことによる経済的な被害も出てくるでしょう。
被害が金銭的に補償されたとしても、評判というものについたキズまでの補償は不可能でしょう。
どこか、この行動によって被害を被る
枝葉の末端まで
を見つめていない、中途半端な批判や同情の声が多いようで気になります。
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