中学生の息子がいる方と話していて、ふと思い出しました。
僕が中学生の頃です。
文化祭で、僕らのクラスでは演劇をやることになりました。僕は当時から映画監督になりたかったので、監督を引き受けました。ところが、これがとても難しい。
配役を決めるとき、
「病弱で、入退院を繰り返しているいじめられっ子の主人公が、マラソン大会で完走する」
というストーリーにぴったりのヤツがいました。なので、そいつにその役をやってほしいと頼みに行くと、予想通り断られました。演技が恥ずかしい人も少なくありません。しかも主役だから目立ってイヤだということも分かります。
でも、その断り方を聞いて当時の僕は脱力してしまった記憶が鮮明にあります。
「どうして僕がそんなことに時間使わなきゃいけないの?
なんで僕ばかりが犠牲になるの?」
演技が恥ずかしいとか、自信がないとか、そういう理由なら僕も完全に理解できたんだろうけど、クラスに何か貢献しようとか、イベントに参加しようという意志が全くなかったんですね。
最後に彼が言うには、
「石川がやればいいやん」
最終的に、進んでその役をやろうという人は出てこなくて、このままでは文化祭の出し物が成立しないという危機的状況になりました。誰もが他人任せにしたくて、逃げるばかりの中、
学級会
で、無駄な“議論”をして、いかに自分はやりたくないかという責任逃れが数時間続きました。
時間の浪費に耐えきれず、何となく漂っていた
「いつかは誰かがやるって言い出すだろう (特に石川が)」
という雰囲気に負け、僕が監督兼主演をすることに。おお、ジャッキー・チェンみたい!
僕は人前で演技することは苦ではない、目立ちたがり屋だったのでやってしまいました。
やると決めたら僕は楽しくやるのです。
バカといわれようがなんだろうが。(笑)
ただし、僕は水泳をやっていたので体はガッチリ。
全く役には不向きの人間でしたから、あまり説得力のある舞台ができたとは言えないでしょう。
なんでこんなことを思い出したのかというと、知り合いの中学生のお子さんのクラス(といってもこの友人の学級だけかもしれないけど)が結構熱くて、みんなが競って協力して文化祭に燃えていたという話だったからです。
捨てたモンじゃない。
この頃の子ども達が全部悪いわけでも、全部無気力というわけでもないのですね。
よかった。
そっぴくんには、大失敗こいて、協力しないくせに批判ばかりしたい奴らからゴチャゴチャ言われてもいいから、
ぜ?んぶ一人で背負ってしまいました
という男になってほしいです。必ず良い経験になる。
おそらく、それに共感してついてきてくれるヤツが、色々な艱難に出会ったときに心の支えになってくれる一生の友だちになるに違いありません。僕も助けてやりたい。
幸い僕にはそういう友だちがいて、色んな場面で一緒に戦ってきました。
我がボウズよ、無気力で批判的、無責任なのに他人の失敗は見逃さないような情けない男にならず、
バカみたいに情熱的な男になれ!
無気力は男らしくないのだ。
父は、無難なヤツより危ういヤツ、冷めたヤツより熱いヤツが好きなんだ。(笑)
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