コンプレックス?あります、あります。(笑)
いまさら外見がどうのとかいうコンプレックスは一つもありませんが、精神面でコンプレックスを抱えています。
でも、それは自分の問題だから、何とか克服する方向で鍛えたり、共存したり、いろいろな方法で楽しく生きていくことを心がけています。
悩んでもしかたがない。
最近、ようやくそういう受け止め方が出来るようになりました。
世の中には、どうしようもないことで自分の心にコンプレックスを巣くわせたままでいる人が多いです。どうしようもないこと、例えば、
日本人であること。
日本人として生まれたら、どうしたって日本人です。
たとえ外国人と結婚して国籍がかわっても、永久に日本人です。
日の丸がいや、君が代がいや
これもコンプレックスの一種と考えています。
国旗を変えて、歌を変えて、それで
(^▽^) ホッ
と出来るようなことなら世話はありません。
根はもっと別の所にあるはずです。
外国にいて痛感したのは、日本人として生まれたらそれは自分の一部です。外国人から見ても、日本人から見ても、僕らは立派な日本人です。それはもう動かすことは出来ません。
多くの人が日本を嫌う理由は、過去の様々な出来事です。
僕はそれらの出来事が事実なのか、虚構なのか、専門的に勉強したわけでもないし、どこをどう切っても歴史というのは賛否両論で、永久に一つにまとまらないものだから、そんなことを理由に国を嫌うことができません。
一方で、自信を持って日本を嫌っている人達が見ている事実に興味があります。
そこまで説得力のある資料なら、一見の価値有りです。
今僕は、
日本が好きですか?
と聞かれれば、
はい、大好きです。
と答えます。
誰かを嫌うには明確な理由が必要だけど、好くことに理由は必要ありません。
でも、おかしなことに仮に明確な理由があったとしても、
自分が日本を嫌っている様子を想像できない
その感覚自体が麻痺しています。不思議なものです。
過去の日本にも本当に悪い行いはあったでしょう。それは否定できません。
きっとあったと思います。そこまで無傷の国なんてどこにもないはずです。
過去の悪行を根拠に母国を嫌って、
国旗を変えて、国歌を変えてくれたらこの国を好きになれる
と主張するのだとしたら、ずいぶん便利な話です。
あたかも、親に向かって
あんたなんか嫌いだから、整形して、声もかえてくれ
っていってるように聞こえます。整形したところで何も変わりません。
親が、言われたとおりに整形したら素晴らしい人間関係ができるのか?
すみません。
僕には想像ができません。
自分が生まれた国はどこまでもついてくる。
絶対に切り離せません。
過去が嫌いだから、
ぜんぶ初期化してよ!
そしたら好きになるから。
それは無理、無理、無理。
新たな欠点が際だってくるだけです。
妙な例えだけど、毎年4月に新しい教科書と、新しいノートと、新しい鉛筆揃えても、な?んも変わらなかったから。人間ってそんな単純なモンじゃないです。
だからこの際、ごたごた言わないで、頬に傷のある国でも
オレ達(わたし達)が良い国にしてやる!
って、開き直ったほうが良い国になると思います。
特に頼むから学校の先生は、公の“学校”という場所で、私的な主張を展開しないでほしい。
学校は一方的な主義主張を教えるところではありませんから。
毎年卒業、入学シーズンになると、君が代をBGMに口をへの字にして意地をはってる先生方の好戦的な態度に、子ども達の将来を悲観したくなるのは僕だけではないはず。
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