ちょっと見たいテレビ番組があって、妻に頼んで録画してもらっておきました。
放送時間に家にいたのだけど、どうもリアルタイムで見る気がしない。
紀行物なんだけど、バラエティー
そういう番組です。目的地には興味があるけど、途中のタレントの雑談が我慢できないのです。だからそういう時間はすっ飛ばし!
でも、飛ばしながら途中まで見て
もうダメ
とビデオを停止してしまいました。
画面の隅に小さい画面が出てきて、タレント達のリアクションを見せているというあの構成がどうしても馴染まないのです。もう早送り、つまみ食いすら許されない番組作り。相手も必死です。(笑)
あのタレント達の反応が模範解答で、
「はい、笑うところです」
「はい、オーバーリアクション」
「はい、泣くところです」
という感じ。あの通りに感じなきゃだめな気がしてくるのです。
最近、人と話をしていると、
私はこういうキャラだから
彼はそういうキャラだから
キャラがダブった
という言葉をよく聞きます。他人との了解の上で、自分の行動をある程度系統化して
間違いのないように、キャラの通りに生きる
そういう消極的なものを感じます。“キャラ”を見いだされないと不安になってしまうほど、型にはまった人達が多くなってきた。
自信のなさが別の形で噴出しているのです。
新しい世界、環境での生活が始まると、できるだけ後で有利になれそうな“キャラ”として、自分を定着させるという空しい努力をしているように思います。
虚勢の張り合いの空しさです。
ちょうど日本で腐っていた人が、留学したら“憧れの人”を演じ始めるのに似ています。だれも自分の過去を知りませんから、そういうことがよく起こります。
型破りで生きていくのに憧れながら、
オレは型破りキャラ
みたいに言ってると、所詮は型にはまってるんだよねと白けてしまう。
テレビを見てタレント達のリアクションで答えを確認して、キャラを決めることで足を踏み外さないようにして、生き方が妙に慎重なのです。自己矛盾にさいなまれても、キャラを捨てて独りになれない弱さを感じます。
悩みは良いことだし、孤独も悪くはないです。
自分が自分に強く働きかけて、磨きをかけていく限り、放っておく人はいません。
真剣な生き方をするひとに、本当の孤独はありえません。
一時的な孤独は、おそらく自分も他人を避けているときです。
無理にすり寄る必要なんてありません。
虚勢をはったり、他人のもつ自分のイメージ(キャラ)の通りに生きる人は、いつか本当の孤独に悩むことになります。
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