昔、英語ができなかった頃は、
「文法なんて知らなくてもいい」
という言葉を妄信していました。
今でもそんな言葉を妄信している人は多いですが、僕には責める権利はありません。なぜって、その方が楽だということを承知しているからです。だからこそ、今の僕の使命の一つは、ひとりでも多くの人にその間違いに気付いてもらうことなのです。
だれでも楽なことへの誘惑をそうそう簡単に断ち切ることはできません。
先日読んだ本にこんな言葉が出てきました。
ビスマルクのこんな警告があてはまった。
「人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう」V.フランクル
よし、本気でやるぞ!と言っているうちに人生は終わってしまうことでしょう。
だからこそ、今からはじめる。
僕は英語が分かるようになってくると同時に、
文法が分からないことで越えられない壁
があることに気がつきました。そこで、必死に文法を勉強してみたところ、その壁を越えることができました。(逆に言えば、文法がどうしても必要になるところまでは、文法無しで勉強することもありなのですけどね。これは僕の英語学習初期の経験です)
イタリア語も同様に、入門をやりながら文法書にかじりついています。
人間ってのは不思議な生き物です。あれほど嫌いだった文法が、手放せなくなってくるんです。ここまでよく言語を系統立てて調べ上げたものだと感動すらあります。人類が、先人達が言語を解明すべく長い時間をかけて作ってきた歴史の結晶です。無視していいはずがありません。
例えば、イタリア語には
ジェルンディオ
という文法用語があります。
ジェルンディオとは何か?
なんと、一言で表現する言葉が無いのです。(笑)
あれこれ色々な要素を兼ね備えているため、動名詞だの助動詞だのという
特徴を一言で表す言葉が無い!
のだとか。そのため、日本人の細やかさを持ってしても
ジェルンディオのまま投げるしかなかった (O_O)
ようなのです。(笑)
それを知ったとき、僕はこのはがゆさに悶絶しました。
「頼むから誰か名前つけてくれよ!!」
でも、ジェルンディオなんです。それで覚えるしかありません。
現代に日本語で表現できない外国語があるなんて。
ある意味感動です。
文法というのは人間が言語に見いだした法則の蓄積です。言語に限らず、人間の蓄積というのは伊達ではありません。
寿司にはワサビ
大人になったら牡蠣はウマイ
それと同じく、
言葉には文法
勉強には努力
ダイエットには節制
人間の歴史をバカにしてはいけません。(笑)
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