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子供にはゴールよりツール

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親が子供に大きな期待を抱いてしまうことに関して、僕と世間との温度差が大きいです。

先日あるレストランで隣に座った二人(僕と同世代父親)の会話です。

「娘にさ、ピアノとバレーを習わせはじめたんだよ」
「いいやん。○○ちゃん、いくつだっけ?」
「3歳」
「お、“ピアノ3歳から習ってます”ってやつね」
「嫁さんが早いほうが良いっていうからさ。なんか女優にしたいらしい」
「お、すげっ。かっこいいな」
「結構金かかるけどな」

僕は自分が教えられることに関しては、できる限りのことはするつもりです。

例えば僕は水泳が得意だから、泳ぎは教えられるけど水泳選手にしてオリンピックへ行けというつもりはない。義父はゴルフがプロ並みの腕前なので、教えるかもしれないけどタイガー・ウッズにするつもりなんて毛頭ない。語学も僕が教えるけど、だからって幼児英検とか受けさせるつもりはない。映画制作も面白いから教えてあげたいけど、それに特別な意味はありません。

僕が絶対にやりたくないことは、

子供に親の現在の価値観でゴールを設定すること

です。

親は、自分の時代をそのまま子供に当てはめようとしてしまう傾向があるようです。
今、テレビを見ていて、

スポーツ選手
女優
俳優
お笑い芸人
ミュージシャン

なんかが“派手な生活”をしているのを見ると、

うちの子も!(それから自分もおこぼれに・・・)」

と思うのかもしれません。

自分が苦手だったこと、できなかったこと、夢に見たことを子供に託す気持もあるでしょう。だから、バレーなり、音楽なり、英語なりを習わせるという発想になる。

もっと現実的なことでも同様です。
僕ら世代が就職した頃に花形だった職業は時代の流れで多くは凋落しています。当時存在していなかった職業が生まれて、そこで才能が動いているのです。

将来というのは誰にも読めません。
だから、“今”を基準に物事を決めてしまうこと、今の時点で子供の将来(近い将来・遠い将来共に)にゴールを与えることにとても抵抗があります。

ピアノもバレーも悪いことではありません。努力が必要な世界なので、機会があれば積極的にやらせるべきです。でも、それらは発表会などのゴールに向けてではなくて、

表現道具の一つとして持っておく

というところに留めるべきだというのが僕の考え方です。

僕が周りの熱気を受けて、持ち前の天の邪鬼を発揮してしまうのは、

子供にはツールが必要であって
親が設定したゴールは不要

という考えから来ているようです。
道具は可能な限りシンプルな方が有効です。
ただし、用途を限定しすぎた道具は人生にはあまり役に立ちません。
広い用途に使える道具が必要です。
将来世界がどうなろうともその流れに翻弄されることがない道具です。

スポーツ、語学、勉強、ダンス、音楽・・・・

これらはまだ万能ではありません。用途が限定されすぎています。
親がすべきことは、それらを通して

続けること
努力すること
失敗すること
自分を律すること
人と関わること
人の話を聞くこと

こんな能力を子供に与えること。努力を助けることです。これらの能力が子供の人生の“万能ツール”となります。考えてみると、このツールこそが、

親である僕たちが夢にまで見た非常に得難い道具で
子供達に何が何でも持たせたいもの

そのものだと気付きます。子供に、

もっと頑張っておけばよかった

と後悔させないための“万能ツール”を与えられる親になりたいです。

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