テレビゲームを一日中やりつづける子に集中力はあるのか。
たしかに、ゲームに集中しているといえなくもないです。
一つ言えるのは、テレビゲームの刺激は単発的な刺激の連続なので、何かを聞いてじっくり考える、そのプロセスに集中するという
集中力
とは違います。
仮に、ゲームに熱中するのを集中力とします。
でも、両者には大きな違いがあるように感じます。
もう一つ、スポーツをするときの集中力も何か異なるものを感じますね。でも、今回はこの点は省きます。
人にとってどんな集中力が必要なのかと言えば、じっくり考え、答えが出なくても投げ出さない集中力です。
どうしてこうなるんだろう?
どうしたらうまくできるんだろう?
答えを導き出すための集中には、ゴールまでの明確な距離はありません。
答えが出るかもしれないし、出ないかもしれない。
雲をつかむような話。
でも何か成し遂げたいことがあるのならば、考えなければならないのです。
一般に、人は先の見えないことに挑戦することが苦手です。
例えば、何かを研究している人。
その人が、研究していることは説明書通りに組み立てていくといつか出来上がるものではありません。
ひょっとすると、スタートが間違っていたことに気付くのが10年後ということだってあり得るのです。
でも、その人は仮説を立て、自分の仮説が正しいことだけを頼りに事に当たるわけです。恐ろしい話です。
ひょっとすると人生を棒に振る可能性もあるのですから。
しかし、人が生きていく上で必要な集中力はこれです。
子供達にこの集中力をつけてあげるためには、考えるプロセスを与えなければいけません。根気よく挑戦させてみるよう誘導することが必要です。
飛んできたミサイルを避け続けるだけだとか、RPGのように歩き回っているとひっきりなしに新しいキャラクターに出くわすとか、その体験からは集中力は育ちません。
子供達はゲームを際限なく続けます。
顔を見れば真剣そのもの。
でもこれは集中ではありません。
その根拠はどこにあるかというと。
ゲームってどうして際限なく続けられるのですか?
それは、飽きられないように作られているからです。
ただそれだけのことです。
飽きというのは、単調な刺激が続くときや、先が予想できてしまう時の感情です。ゲームが難しすぎて途中で投げ出す、あきらめるのとは違います。
ここで、ようやくゲームが
集中力
によって続けられているのではなく、
中毒性
によって続けられているものだということが分かります。
中毒については、以前「親の危険な心理状態」で書きました。
子供がゲームに中毒するところまで行ってしまうと、ゲーム以外の時間はゲームをする時間のことを考える時間になってしまいます。(ドライ中毒状態)
かんたんに言えば、中毒は人格を乗っ取ってしまいます。
ゲームを子育てに取り入れるのは一つのアイデアだと思います。親子で楽しむのも良いことだと思います。それは家庭の文化次第です。
ただ、中毒には恐ろしい力があることは親が自覚しなければなりません。
僕にとって、小さな子供にゲームをさせることはとても勇気がいることです。
僕は確実にコントロールしていく自信がないので、とりあえずできるところまで排除です。
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