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挨拶するとき、しないとき

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僕は、至る所で挨拶をします。会合の挨拶とかそんなんじゃなくて、

こんにちは

という、普通の挨拶です。場合によっては、こんにちはという気持を込めて頭を下げるだけということもあります。

駅の改札、お店のレジ、レストラン、高速道路の料金所、工事現場で旗を振っているおじさん

さすがにすれ違う人全てというわけではありませんが、自分が利用するお店や施設などでは殆ど必ず挨拶します。それを毎日見ているそっぴくんは、僕以上にそこら中で挨拶しています。うれしいです。

居酒屋で(僕は酒を飲みませんが)注文を取りに来た子に挨拶すると、僕の同級生なんかが笑います。

「石川、なんでこんな所で挨拶するの?」

あかんのか?

僕は、注文を取りに来た子を  注文取りマシーンや券売機  みたいに扱えないのです。自分がその立場に立って考えたら、

「これと、これと、これ。はい、持ってきて」

という事務的な感じが嫌いなのです。注文だけでなく、皿を下げに来てくれれば、

「ありがとう」

と言うのが当たり前です。

と思っていたら、「007 カジノ・ロワイヤル」で、007もベスパーもやってるじゃないですか。
メニューを持ってきてくれたら、

「ありがとう」

カジノの入り口のドアマンには、

「ハロー」

当たり前です。見ていてとても上品で気持ちいいです。これがシナリオに入っているんだから、気が利いている。

「金払ってるんだから当たり前」

という態度は、いかにも虚勢を張ってるようでいただけません。

でも、なぜこういうことが出来ないのかという原因は、店側にもあるような気がします。
店員自身が、なぜか注文取りマシーンを自認している気配があります。

マニュアルで決められているのでしょうが、全員が同じ口調。
感情を挟む余地のない、規格化された笑顔と明るさ。
“自分”を消して、“企業の方針”に忠実に従う。

そうすることがプロフェッショナルであるかのように勘違いしているのではないかと思います。

アメリカが全て良いというわけではありませんが、ファミリーレストランへ入ってもウエイトレスのおばちゃんが気さくに話しかけてくれます。自分のことまで話してくれたり、おすすめの料理を教えてくれたり、関係ない話をするなかで生まれるコミュニケーションがサービスを向上させています。

無駄話というかもしれませんが、無駄話をするにしても、お客様のことを考えて相手を楽しませる、良い気持ちにさせる必要がありますから、当然のごとく

話す技術

が向上します。チェーン店であっても、もう少し個々人の人格を生かせるようにしても良いように感じます。
もちろん、店によっては保ちたい格があるでしょうから、その格に合った従業員を雇うのは当然のことです。

とはいえ、店の責任ばかりとも言えません。
顧客側も、無駄話を期待しない習慣がついてしまっているので、突然話しかけられたらあたふたしてしまうかもしれません。

でもこれね、旅館では昔からずっとやっていることなんですよ。
部屋に案内してもらって、そこでその日の旅のことなんかを少し話す。

「何々はもうご覧になりましたか?」
「いえ、明日行こうと思っているんですよ」

とか、話しかけてくれるわけです。そうして話すことが

ちょっと違う場所、違う自分という快感

をもたらしているのです。

でも、今は話しかけられることが煩わしくて、その店に行かなくなるという人もでてくるでしょう。
コミュニケーションを嫌う人が増えていく、こんな長年の習慣というのは、悲しいものです。

とにかく、もう少し挨拶しましょうか。
僕は笑われようが草の根運動続けます。

ちなみに、今まで挨拶してイヤそうな顔をされたことは一度もありません。(笑)

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