20代の頃、まだまだ親になることが現実的ではなかった時期に、
「友だちみたいな親子になりたい!」
と思っていました。今思えば、馬鹿げた話です。現在の僕と息子の関係を言い表すのなら、友だちなんて表現は逆立ちしても出てきません。
以前、あるホームページでこんな事を書いている方がいました。自宅を建設する、建前の席で子供に酒を飲ませたら、
「こんな辛いモノを飲ませて?!」
と怒ったというのです。僕は、そういうことをさせるべきではないと思うし、そんなことを公の場で書くべきではないと思ったのですが、どうやら同様の指摘をした人がいるようで、後日弁解が書かれていました。
「子供に判断力をつけさせたいから、なんでも子供に判断させる」
その一環として、子供に酒を飲ませたというのです。どう聞いても後付けの理屈にしか聞こえませんが、その方は
「体験させて、それで覚えていってもらいたい」
という方針なのだとか。交通事故なんかも一度ぶつかってみてから覚えればいいのかなと言ってみたくなります。(笑)
僕は子供に判断力があるとは考えていません。
判断はさせますが、それは全く独立した判断ではなく、僕というフィルターを通してもまだ
“正しい”
と思われる判断が出るまで判断させる。つまり、僕が正しいと思うことに子供の考えを合わさせているといえます。
人間は、経験がなければ判断はできません。
子供に経験があるとしたら、大人からの伝聞による知識だけでしょう。ほとんどそれは、
「海外へ行ったら置き引きがいますから、自分の荷物から目を離さない」
ということと同じです。
どれほど多くの大人がこんな簡単なことができないか。
旅行者を見ると、そんな言葉を聞いたことがあっても、それを実行できるようになることとは全く別世界のことだということがよく分かります。
経験を積んで、それら経験と見聞きして得た知識を照らし合わせて、その上で自分を全体の一部としてとらえて、利己的にならないような解決を編み出すのが判断です。
相手は子供です。
どの程度“判断力”を信じて賢明な行動が取れるかというと、あまり希望を持つべきじゃないなとすぐに納得できます。
子供を立派に育てたかったら、親自身が自分の判断に自信が持てるようにしておくことが大切です。
僕は自信があるのか?
と言われれば、自信なんてありません。でも、自信がないからといって、努力することまで放棄するほど愚かではないと思っています。
自信が持てるように自分を鍛えること。
特に父親、特に男の子を持つ父親にはそんな強い意志が必要じゃないかと自戒しています。
友だち親子の家庭では、子供に正しい判断力をつけさせることは難しい。
だから、子供に自分の価値観を押しつけてでも“判断力”をつけさせる、上下関係を持つ。
これが僕の判断でもあるわけです。
正しいかどうかではなく、僕はこの判断に自信を持っている。
それでいいわけです。
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